1/19その3(モロッコの旅13)
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2011/03/03 17:39:17
飲んでいる時、イスラミックな考え方の話になった。
わざわざ1ページ割いて彼の話を日記に書きとめているので、ここにも書く。
つまり早死にするって言うのは、アッラーがその人をとても好きだったってことで、幸せなことだ。
だから明日死んでも、私は怖くない。
金っていうのは使えばいろいろなものになるけど、使わなければただの紙だ。
日本人はなぜこんな紙をありがたがるんだろう。
体や心を豊かにするために使うのは、悪いことじゃないのに。
私は大金を手に入れても、すぐに使ってしまう。
すぐ金がなくなるけど、心配ない。
神様が何とかしてくれるからね。
このところ全然物が売れなくて、今朝は1番小さい妹に10DH借りて店に来たけど、今日は大きな箱が売れたから2500DHも儲かった。
でももし今日売れなくても、それは神様の御心のままだ。
本当に何も金がなくなっても、そこらで金くれって頼めばみんな小銭をくれるよ。
私は仕事のときでも余り働かない。
それよりみんなとお茶を飲んだり、話しているほうが楽しいからね。
それでもちゃんと神様は私を守ってくださる。
子供が7人いる靴磨きの爺さんは1日50DHくらいしか稼げないけど、いつも笑っているよ。
爺さんが稼げなくても、そしたら子供もがんばって働くからね。
日本人は沢山稼ぐけれど、物も高いし欲しいものが多いから生活は苦しい。
その上毎日朝から晩まで働くだなんて、貧しいね。
本当にそう思うよ。
日本人は神様を信じないからかな。
イスラム教でなくてもいい、仏教でもキリスト教でも、信じている人は僕の友達。
神様がその人を守ってくれているからね。
彼は酒を飲むし、日に4回メッカに向かってお祈りするほど熱心なイスラム教徒じゃない。
日本では日本人の女の子と付き合っていて、その頃は結婚も考えていたようだが、もう2年も手紙すら来ないという。
でも、今でも店に写真を飾って、「僕の名前は日本語でこう書くんだよ」と「夢多詩夢」と彼女が当ててくれた字をたどたどしく書いてくれるような人だ。
今、日本で報道されるイスラム教徒はとても怖く、好戦的なイメージが強いけど、知り合ってみるととても情の深い人が多かった。
それは、いつも神様が自分を見ている、という気持ちがあるからではないだろうか。
ええ、とても素晴らしい国でした。
モロッコもそうですが、インドやチベットでもおもらいさんはニコニコ笑いながら手を出して「ちょっとくれ」と言いますが、ヨーロッパの失業者はプラカードを首から下げたり持ったりして「くれ!」と怒っているように見えます。
それでも誰かに助けろ! と訴えてる。
日本の路上生活者は、何で目を合わせず「金くれ」って言わないのかなと思います。
困っている時に少しだけ誰かに頼ったって、いいのに。
困った人を助けることは天に喜捨をすることにつながり、徳を上げられる、と大体の宗教は説きます。
だからみんなおもらいさんに上げるし、おもらいさんも他の人の徳を上げるのに貢献したのだからと自らを卑下しない。
宗教のいいところは、そういうことなんだろうなと思います。
素敵だな。
助け合える気風の国なら、こんな風に生きていけるんでしょうね。
とてもすばらしい国だと思います。
どんな宗教も、よりよく生きるために考えられたものなんですよね。
けれどそれが政治と絡むと…。
物があってもそれに喜びがなければ仕方ないんですよね。
大人になったら飴なんて袋で買えるけど、ちょっとした親切のお礼にもらった飴はたった1個でもとっても嬉しい。
そういう嬉しさを楽しみたいですね^^
それがいつの間にやら歪んで闘争のもとになってるって、悲しいことです。
日本人は物の豊かさを手に入れた分、心の豊かさを失ってしまってる気はしますねぇ(>_<)
ジハードの原義は「努力する」ということだそうです。
コーランの中の一部にジハードをイスラム世界を広げるよう努力せよ、と書いた部分があり、そこを世の為政者が領土拡大や侵略の大義名分にしていったという経緯があるといいます。
十字軍の遠征を髣髴させますが・・・。
テロについては否定するイスラム人が多いです。
コーランを拡大解釈されて、イスラム教徒すべてが攻撃的だと思われ、とても迷惑だと嘆くイスラム人の話を何度か聞いていますよ。
ならば彼らに正義はありませんね。 ジハードも名ばかり。
とは言うものの、欧米に蹂躙されてきた歴史からすると、我慢の限界超えるのも分からなくはないですが。