原作厨上等
- カテゴリ:アニメ
- 2009/03/28 22:34:38
このところ、ニコッとでなんやかんや書いてて自分のスタンスに疑問を持った。
原作つきアニメーションの「あり」「なし!」の判断基準にだ。
好きなジャンルが偏っていて原作になることが限られているからか、ドラマでカッカすることは少ない。
が、アニメだとそうはいかない。
「駄目じゃん」思ったら最後プッツリいく。
いや、だからどうしたということもない。
視聴中落ち着かず、親しい人に悪評を吹くくらいのことで。
漫画が原作ならまだいい、小説、ことに児童文学の場合に顕著だ。
映画館だと手をワキワキさせて硬直してたりする。
家の中で見ていたら——? 散々だ。
「文字の読める文盲って、いるんだ……」
「行ってこい大霊界!」
自覚はある。気に入らないフィクション方面には、おそろしく口が悪い。
なんだけど——ここ当分、世の評判の良くない原作つきを「いや、悪くない」(または「面白がって見たよ」)と書いてたり、一方で出来が駄目だと断じたりして不思議に思った。
あれれ、私の基準どうなってんの?
原作つきに限らず、世間でえらい勢いで叩かれてる作品でも、結構面白く、または多少生暖かくも楽しんで見ていたりする。
逆に、どんなに人気があろうが「どうでもいい」認定することもある。
基本まったり楽しむタイプで、あまり叩いたりしない。
ただ原作つきの場合、腹に据えかねることもある。
結果周囲の人に苦笑されている。いや、もうみんな慣れたもんだ。
(具体的な作品名あげるので批判が嫌いな人はここで読むのをやめて下さい。でもすみません、本音です)
「なし!」と言いたい原作つきにはいくつかの場合がある。
まずは、その作品のせいばかりではないだけど、その作品イコール原作みたいに言われるケース。
読むまでもない、みたいな扱いを受ける原作が不憫だ。
独立した作品だと考えない視聴者側も悪いが、「これぞ本物」みたいな扱いをされている場合もある。
実はアニメーションの独自性や工夫や長所も無視される、気の毒な状態なのだが。
ディズニーの原作つきの多くがこの理由でいただけない。
教育的配慮(? のつもりだろう)で恐怖や非情さ、容赦のなさなどが削られている場合もある。
作品で言えば『コルドロン』(原作は〈プリデイン物語〉)あたり。
凸凹を平らにならして、ほどほどに形成してどうするのだろう。
闇がなければ立ち向かう必要はない。苦難に打ち勝つ物語など成立しはしない。
テーマどこですか? になることも珍しくない。
「人魚姫が生き残ってめでたしめでたし」なんて、アンデルセンは草葉の陰で泣いてるだろう。
「お手頃」な物が欲しければ、他人の土俵じゃなく、どっか他所でやってほしい。
よくあるのはジャンルの違いの差異を翻訳しきれませんでした、という場合。
文章をまたは動かない絵を、映像にすれば当然見せ方が変わる。
なのに変えないから逆になんだかなぁ~みたいなこともある。
ひどくなければ生暖かく見る程度で、単に作品の出来だけど。
強いてあげるなら『フルメタル・パニック』一期。
ちゃんと心理描写しとかないと、ヒロインがただの乱暴女に見えるって。
(単にかなめ贔屓なんだろ、と言われりゃその通りw)
最後にいっとう凄いもの、形容に困るレベル、何がやりたいんだ……ってケース。
原作で見た名前や似た展開はあるけど、適当なツギハギで、テーマやストーリーラインはどこですか? てな具合。
結果、展開がご都合主義で、人物がなぜそう考えるか、動くのか謎。
原作を読んでなければ何が起こってるかわからない、で、原作を知ってると怒髪天をつくという……
あげちまおう、アニメの、『戦闘妖精雪風』(アニメは中点“・”なしねw)と『ゲド戦記』あたり。
両方とも、あんまりな内容に呆然とした。
原作といわれる作品は別物です。くれぐれも一緒にしないで下さい。
原作と派生した作品に違いがあって、別物になっていても、その作品なりの魅力があるならばいい。
ただその派生作は、原作と離れて成立するべき、独立した別の作品だと、見る側も、作る側もだ、承知しておくべきだろう、と思うよ。
思い入れのある作品の酷評には、血が上ることもありますし
なんで、こんなのにしたの?と思うことも、多々あるし
だから、思い入れのある作品については、原作の記憶が適度に薄れた頃に接するべしと思ってます
それぞれの作品のどの部分を咀嚼するかは、読み手の自由がないと、
妄想が暴走しがちな自分にとっては、人の首でなく自分の首を絞める結果がついてきて
自滅しそうな気がするだけで、穏やかなのは、自分がかわいいだけの裏返しなのかも?
別物になっても、その作品なりの魅力があれば「あり」だと思います。
思い切った作品の方が案外面白かったりします(うへぇ、って時もありますがw)
山鳥さん
おだやかなお言葉にちょっと反省。
あげつらった作品にしても、見るべきところが一切ないわけではありません。
派生作だけ見た人に原作けなされたり、複数の話を適当につなげて起きていることの説明さえつかなかったり、等々で頭にきてしまっていました。
ただ、「教育的配慮」で作品のテーマに関わる闇や厳しさを削るなら、もとよりそんなものがない話を作品にすべきだとは思います。
作品の好悪、ほめようが貶そうが、どんなスタンスも有りかな?と思っていたりします
ただ、思うところの押し付けになってしまうと、NGというより、人間関係が壊れる原因のような気がします
で、それを読んで他の方が興味を持つかどうか?とか
その方が、同じ気持ちになるかどうか?というあたりは、
個人の感覚の違いなので、どうしようもないですし・・・
自分の感想を思うように語れるのが、素人でいることのメリットだと思うので
基本的に、原作とその翻案物は(漫画化・アニメ化・実写化問わず)
別物ってスタンスで観てます。そうでもしないと、耐えられないものが
多すぎますもの(笑)
そういう意味でも、最近の大型ファンタジーの原作を意識するあまり、
原作のダイジェスト版にしかなってない映画化はちょっと物足りない気も
いたしますわ。どうせならもっと大胆にやりましょーよー。
過分のお言葉ありがとう。ちょっと考えさせてやって下さい。
どっちかというと活字寄りの人間なんです。その上最近、漫画さえろくに読めてないし。
ホームにお邪魔させていただきますね。
ながつきさん
『コルドロン』は少年の成長って部分だけは外してないんですけどね〜
原作の魅力をほとんど削って、脳天気なディズニーにした感じです。
『ゲド戦記』はジブリ側が出してた情報で経緯を見ても、原作者に対し失礼だと思っています。
『光の六つのしるし』ましだったんですか? 評判が悪かったので見ずにすませてます。
原作が好きだとしんどいですね〜
ころまるさん
あとの2作はあまり見ていないのでよくわからないのですが、
『魍魎の匣』のアニメは映像化に向いていない作品に果敢に挑んだ佳作、
『ブレードランナー』は原作テーマを逆しまに見せた傑作だと思います。
好きな作品の映像化は、割り切って期待せずに見た方がいいんでしょうね。
原作の持ち味と、監督のやりたい事がずれる事があって、監督がそれを消化しきれないからだと思います。
んじゃ、オリジナルでやれよって話になりますが、オリジナルは企画が通りにくいようで悪循環…。
これも不況のあおりなんでしょうかね。
原作つきで面白いなと思ったのは『ブレードランナー』『デスノート』(実写版)、『とらドラ』、『魍魎の匣』あたりです。
『魍魎の匣』はキャラデザに批判もあったようですが、個人的にはアリでした。
台詞が多い作品を演出で飽きさせずに見せてくれたのも、ポイントが高かったですね。
まぁ、原作ありの作品は、うまく映像化できたらラッキーくらいのつもりで見るのが良いのかもしれません。
出来が悪くても違ってもいいんだけど、腹が立つのは原作までも含めた知ったかぶりの評価をされること。
『コルドロン』は、美術:ティム・バートンには心惹かれたんですが、
あのころのディズニーだし、ディズニーアニメは苦手だし、端から違うだろうと決めつけて、
観ていないです。
『ゲド戦記』は、あのアニメのことですよね。も、観ていません。
原作者のコメントを読んで観ないでよかったと、心の底から思いました。
ちなみに、アメリカの実写TVドラマ『アースシー』は、原作者がゲドを白人にした!と
ぷんぷんに怒っていたけど、観ました。設定やストーリーが違う部分もあるけど、それなりに楽しめました。
『光の六つのしるし』とは、比較にならないほどマシ。比較対象が低すぎる?
というわけで、マンガ・アニメ・イラスト倶楽部に入りませんか?
批判、悪評もありで自説を熱く語りませんか?