「遠隔地の今朝獲れの魚」の価格はいかほど?
- カテゴリ:テレビ
- 2011/01/15 17:43:06
長野では一週間遅れになるけど、さっき、「ガイアの夜明け 『うまい魚を食卓に ~流通システムを変える革命児たち~』」を見た後の感想。
一つ目に取り上げられた「中間業者を省略することで、経費の縮減と到達時間の短縮を図る」ことに努力する業者は、まあ、いい。ちょっと引っかかったのは、二つ目の業者。居酒屋を経営する業者なんだけど、「新鮮で美味しい魚を消費者に」というのは、酒好きの私としては、非常にうれしい。
しかし、「新鮮=今朝獲れ」に拘るところで「どんなもんなんだろうかと」素朴な疑問が。
「新鮮な魚は美味しい」。これは事実。流通システムの発達で遠隔地からも新鮮な魚が手に入るようになって、いろんな魚が楽しめることは、単純に嬉しい。例えば、「サンマの刺身」とか、昔は水揚げされる地元に行かなけりゃ、味わえなかったものが手軽に味わえるようになったのは、いいことなんでしょう。
その業者は、従来は、早朝6時出航でなんだかんだで消費地に届くのが夕方だったのを、漁師さんの協力で深夜2時出航して昼過ぎに到着するまでにすることができた。消費者としてはこれは嬉しいことであることには間違いはない。
だけど、「そこまでして手に入れる『遠隔地の今朝獲れの魚』は、『近海物の今朝獲れの魚』に比べて、それほどまでの価値があるのか?」という疑問があるのだ。
深夜に出漁する漁師さんの危険は、夜明けに出漁するよりもはるかに大きいだろう。さらに、普段は同じ種類ごとにする箱詰めも、詰め合わせにすることで流通時間を短縮することはできるが、漁師さんに余計な負担がかかっていたに違いない。
「それらの目に見えない負担や経費、航空輸送する経費というものが、適正に計上されているのか?」というのが私の引っかかった点なのである。
流通の発端にいる1次生産者に適正な対価を払おうという「フェアトレード」という考え方がある。発展途上国が先進国に搾取されていることを是正しようという考え方だ。この考え方は 「地産地消」とか「地球にやさしい」とかにつながる考え方だと、私は思っている。
そこを踏まえたうえで、前述したような「遠隔地の今朝獲れの魚」を流通させることは、このような考え方が標榜されるこのご時世、こういった流通業者の努力を諸手を挙げて賛成できないな、と思ってしまうます。
ただ、私はそのような「流通業者の努力を否定やめよ」とは主張しません。コンビニとかネット通販とかいった便利な世の中を享受している身としては、それを否定することはできません。ただ、それを少し考え直してもいいんじゃないかな、と思うんですよ。