前漢(西漢)・呂氏の専横
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- 2010/12/24 10:54:01
B.C.195年、高祖が崩御し、劉盈(恵帝)が継ぐ。
政治の実権を握ったのは生母で高祖の皇后の呂后だった。
呂后は高祖が生前に恵帝に代わって太子に冊立しようとしていた劉如意を毒殺、
更にその母、戚夫人を殺した。
恵帝は若くして崩御する。
呂后は少帝恭、少帝弘と相次いで帝位に付ける。(少帝弘は劉氏ではなかったとされる。)
呂后は諸侯王の高祖の子たちを粛清、自らの親族、呂産らを要職に付け、
更に王位に上らせ外戚政治を行った。
皇族重視の国家体制の変質である。
呂后は呂氏体制を確立するために奔走したがB.C.180年に死去。
呂后の死去に伴い反呂氏勢力が有力となる。
朱虚侯、劉章・丞相、陳平・太尉、周勃らが中心となり呂産を粛清。
呂氏一族は粛正され、呂氏の影響力は宮中から一掃された。