L.L.Andrews はかく語りき。
- カテゴリ:小説/詩
- 2010/12/23 03:18:15
(沖野)>Lowell Lee Andrews は頭は悪くなく、
>家を荒らして強盗の仕業にみせかけ、
>自分のアリバイをつくることまで行っていたが、
>家へ来た警官の前で家族の死を嘆くフリすらせず、犬と遊ぶという無頓着ぶり。
>すぐに自白すらしている。いったい、何がしたかったんだろう。
それが、In cold blood というタイトルの由縁では?
「何がしたい?
ふん!
だから、お前たちがたまらなく嫌になる。
人は、何かのために何かをすると、
そう信じて疑わないお前たちの、
目的合理的なこの世の理解が嫌になる。」
そして、俺たちのような人間には、
全てを神の予定調和として救済しようとする
アリューシャ、
君の偽善性が許せないのさ。
アリューシャ、君は家族の事件を
何一つ止めることができなかったにもかかわらず、
この物語全ての救済を背負うかのような、
安全かつ清らかな立ち位置をしめているよね。
君の立ち位置が、
この俺、Andrewsには…、
そして、このAnjyu(安寿)さんには、
たまらなく鼻につくのさ。
イワンもドミートリーもスメルジャコフも、
その悪は、むしろ明快。
アリューシャ、君こそが最大の偽善さ。
悪を前にして、まったくの無力。
悪を止めるための手立てを何一つ打てずに、
ただ悪が行われた事を、
安全な位置から嘆くばかり。
俺たちは、
そんな善人の立ち位置の巧妙さ、
狡賢さがたまらなく嫌なのさ。
身の安全を確保した後、安全地帯から、
俺たちに向かって道徳的避難を繰り返す
鈍感な善人たち。
だから俺は、
予定調和的で平穏な世界を揺るがすために、
君たちの内側で、
まったく無意味なことをしてみたまでさ。
目的合理的な思考回路では、
まったく理解不能なことが、
この世にはあるということを、
君たちに見せつけるためにね。
それでも神は、
試練と計り知れぬ愛で
すべてを予定調和的に救済してみせるのか。
だが、なんのために?
すべては神の自己満足…。
自分が偉大であることの自己宣伝じゃないのか?
だから、そう、
俺たちは神を試しているのさ。
幸いというべきか、
無念というべきか、
ともかく『カラマーゾフの兄弟』は、
前編を書き終えた段階で、
筆者死亡のため中断となったが…。
しかし、後編では、アリューシャ、
君こそが父殺しに手を染めるそうじゃないか。
そう、ロシアの父としての皇帝暗殺へと向かうような、
ひいては神殺しへと向かうような…、
亀山郁夫の解釈はたしかそうだよね。
期待しているよ。
作者が亡くなっても、
アリューシャ、
君は読者の中に生き続けて、
ある時は Andrews という、
ある時は Anjyu さんという、
自分の善人づらに
いい加減嫌気がさした
君への反逆者を生み続けるのさ。
昨日の記憶をなくしていることがある安寿ですが、 ☆\(ーーメ
飲んだくれていても、
どうやら、ちゃんと論理的にお話ししている安寿がいるみたいです…。
同様に、
翌朝、自分のブログを見て、
書いた記憶のない文章をその中に発見して
改めて驚く安寿がいます。
しかも、ちゃんと書いている…。
酔っ払いの文章とはとても思えない… ☆\(ーーメ
さて、
村上春樹は、
ドストエフスキーの影響が強い作家だと思います。
『ねじまき鳥クロニクル』の悪の姿は、
『カラマーゾフの兄弟』の、
カラマーゾフの血として生まれる悪の姿ではないでしょうか?
主人公の前から姿を消す妻は、
自分の中に流れるカラマーゾフの血を怖れるがゆえに、
失踪するのではないでしょうか?
『海辺のカフカ』の、
もう一人の主人公ナカタさんを、
ナカタさんに変えてしまう女教師の血は、
やはり『カラマーゾフの兄弟』の血ではないでしょうか?
『海辺のカフカ』で
無益な「猫の大虐殺」を繰り返すジョニー・ウォーカーは
家庭内の暴君フィヨードル・カラマーゾフの姿ではないでしょうか?
少年カフカくんは、
ジョニー・ウォーカーの殺害に関わってはいませんが、
カフカくんの分身と言えるナカタさんが、
ジョニー・ウォーカーを殺害します。
このナカタさんの、
知的障害者のような丁寧な言葉遣いは、
スメルジャコフの言葉遣いではないでしょうか?
そして、ナカタさんは、
その空白な無垢さゆえに、
「悪」がこの世に生まれ出る回路でもあるのです。
だとすれば、
少年カフカくんは誰…?
母のいないカラマーゾフ家において、
アリューシャは「母なるもの」と邂逅することがありません。
アリューシャの観念的な理想主義は、
彼がテロリストになっていく下地でもあるように思います。
ですが、少年カフカくんは、
自らの聖域の中で
「母なるもの」との邂逅を果たし、
再びこの世界へと帰って行きます。
『海辺のカフカ』のネタの一つは、
ギリシャ悲劇の『オイディプス』。
つまり、父殺しと母子相姦。
聖域での母との邂逅は、
少年カフカくんの自己否定の旅の折り返し点です。
アリョーシャと皇帝暗殺の話はありましたから
ドスト氏は確かにそういう構想を抱いていたと思われます^^
いま、カラマーゾフの兄弟を読み終えました。
…Andrews が計画を練る過程で、イワン流の無神論に影響を受け、
理論武装をした可能性はあります。
しかし、行動の発端となったのは、
やはりアリョーシャと子供たちへの反感、
死後の復活や魂の救済というキリスト教的な
神の世界への反逆だったんだろうな、と思いました。
……あれ? それはもうすでに
安寿さんが書いているじゃないですか…。
(´Д`;)
…ひょっとして、わたしも飲んだくれたら
いい考えが思い浮かぶかしら?笑
…あぁ、そして残念なことに、わたし、村上春樹は苦手なんです。
友人たちが大絶賛するので、きっとすばらしい作家さんなのでしょうが
わたしはだめなんです。1冊読んで、以後まったく読めません。
好みの問題で、ちなみにわたしは日本酒も苦手です(←)
ですから、ここはもう安寿さんが書いてくださるしか(笑)
配達指定時間は「努力目標」みたいなものですよね^^;
ところでアメリカではイブの夜、子供が玄関にクッキーを置くそうですわ。
なんでもサンタさんへのお礼だとか。
えへへへ、
真夜中に、
飲んだくれながら、
沖野さんのブログへコメントを書いていたら、
コメント欄の字数1000字をオーバーしてしまいましたので、
自分のブログに掲載してみました。
江川卓さんの本は、まだ読んでないです。
亀山郁夫さんの解釈は、光文社文庫版の解説だけで、
亀山さんの新書は、読んでいません。
さて、沖野さんの「オーダー」で、
ふと思ったのは、村上春樹でした。
「なぜ?」という問いへの答が成立しなくなった世界で、
自分を巻き込むとても大きな出来事が起こり、
巻き込まれ、溺れかけ、全てを失い、
なのに、どこにもたどり着けていない、
何も得ていない。
ただ、この世においてはたどり着けぬ
私だけの聖地があるという記憶だけを頼りに、
残りの生を、
残務処理のように扱いながら生きていく…。
…、あ、残務処理しなくちゃ(笑)
…、しかし、宅急便め!
午前中の配達指定にしておいたのに、
まだ、来ない!
(現実世界のお届けは、
サンタクロースのようにはいかないのです)
…、親戚からのお米、ううう、これで年が越せる~。
目的の無い行動なら、
行動しなくてもいい。
行動してもいい。けれども行動した時点で、
誰かに勝手に目的を付与されてしまう。
アリョーシャはイワンとの対話で
神の予定調和を拒否してしまった。
後に彼自身も「神の世界を認めない」と口にする。
だから彼もやっぱりカラマーゾフ。
ところで、この記事を読みながら、ふと
目的を否定する行為をする人々 と
その破壊的行為に目的を付与してまわる人々
という対立構造の小説が読みたくなったんですが、
安寿さん書いてみません?(←無茶ぶり)
テーゼ、アンチテーゼ、
結末はどんなアウフヘーベンになるか。
いえ、私に案はないんですが(殴