あかりりさん、ご心配なく。
- カテゴリ:美容/健康
- 2010/12/15 23:51:53
>あかりりさん
「採血に手間取ってしまった…」への
あかりりさんのコメントを、
新しいタイトルで書きます。
初めて読む方は、
二つ前のブログをお読みください。
***************
「医学の進歩」という名の
人間モルモットだと思ってくださいませ。
「立派な志」というよりは「やけくそ」、
そして医者との「腐れ縁」です(笑)。
私、変に好事家、わかりやすく言えば「おたく」、
ついつい蘊蓄を傾けてしまうところがありまして、
自分の病気についても変に詳しいんです。
極端なことを言えば、
医者が読むような専門論文…、
とまでは、いかないまでも医療従事者向けの本を手に入れて、
ざっと読んでしまうタイプの人間ですので…、
(最近、読んでないけど・笑)
医者の方としては誤魔化しが効かない患者ですし、
逆に言えば、新しい治療法を頼みやすい患者でもあるわけです。
結果的に、スゴイですよ~ん。
かつて、検査データはとても悪かったのです。
威張れることではありませんが、
世界で一番その病気についての検査データを持っている病院の
レコード記録(当時)を塗り替えてしまいました。
他の人が一桁代なのに、私だけ二桁。
他の患者が、「えっ、これ二桁あるの?」と聞いたぐらいですもん。
(他の患者はみんな、検査データが4~6程度だったのですが、
私は10を下回ったことがなかったんです。)
医者から
「安寿さん、辛くないですか?」
と尋ねられても、本人は、
「うーーーん?」
と思い当たる節がない(笑)。
普通の人なら、
辛くて何もする気がないらしいのですが、
私、入院している間に病院からの外出許可をとって、
仕事を一つこなしてきてしまったという…、
翌日、命にかかわる事態だったらしいので、
親が呼び出されて一緒に説明を受けたのですが、
しかし、私の実感は、
「へ?」
何ともなかったのです。
これを「逞しい」と言って良いのか、
「鈍い」と言った方が良いのか。
つまり、他の患者は、
急性患者として「発病」し、
初めてこの病気になるので、
健康な時と病気の時との差がわかるのでしょうが、
私の場合、生まれつきこの病気の慢性患者なので、
病気の状態が、そのまま私にとってのノーマルな状態。
「病気」であることが、私にとっての「健康」なのです。
だから、「この病気で辛い」ということが、
よくわからないのです。
しかも、そもそも私の病気は、
慢性の場合、
痛いとか辛いとか不自由とかいった自覚症状がないタイプの病気なんです。
意識の水面下で少しずつ悪くなるというタイプの病気なんです。
ともかく若いから(若かったから)、
普通私の病気は50代の患者が多いのですが、
私は20代でしたから、
体力的にかなりきつめの治療法でも耐えられましたし、
また、本人もついつい勉強してしまいますから、
結果的に人間モルモットになってしまいました。
(この病気は、
病気で辛いというより、
治療がきつくて辛いのです。)
つまり、患者(私)が自分の病気に詳しいから、
医者としては、
丁寧に説明(ほとんど講義)すれば、
理解してもらえて治験に協力してもらえる。
私としては、最先端の治療がタダで受けられる。
(治験者リストに何度名前を連ねたことか…)
まあ、その代わりに、
検査データとして血もたくさん採られてしまうのです。
その治療法も確立し、
新しい薬も開発されて、
薬の副作用もなくなりましたので、
ここ数年、私の病状は、
まったくと言って良いほど安定しています。
健常人と何も変わるところはないことを確認するために、
病院に通っているようなものです。
しかし、依然として私は、
危険因子タップリのモルモットちゃんですので、
早めの発見、
早めの治療と思って、
たくさんの血を採られにいくのです。
ま、文字通りの「一病息災」というところですね。
しかも私、
こういう人生であって、
「よかったなあ~」って思ってます。
だって、否が応でも
人生の節目が出来るから、
そのたび毎に違う人生を送れるでしょ。
というわけで、まもなくドイツに短期留学に行きます。
(長期留学ができないのは、
やはり病院から長期に離れるわけにはいかないからです)。
「純愛を二つ三つ…」と宣うこと自体、
すでに十分不純な安寿なのでした。
さて、
「『ノルウェイの森』は純愛小説なのかなあ…」
というのが、
安寿のこの小説に対する感想なのです。
村上春樹の小説の登場人物は、
皆が皆「壊れている人」たちで、
自分を取り巻く現実との間で、
うまく折り合いをつけられない人たちなのですが、
(その点では、安寿と同じですが)
ただ、それぞれが自分なりの「無垢な聖域」を持つ人でもあります。
そして、それを失ってしまった人でもあります。
だから、残された人生を、
もう死んだ心のままに生きている…。
安寿もそういう類の人です。
ですから、留学する都市は、
連合軍による無差別爆撃で有名なドレスデン。
何もかもが一夜にして崩壊してしまったドレスデン。
カート・ヴォガネットJr.が書いた
『スローターハウス5』の舞台であるドレスデンです。
そして、ドイツ語の学校の休みに、
チェコのプラハまで行く予定です。
村上春樹の小説『海辺のカフカ』、
その「少年カフカ」くんは、
当然『審判』『城』『変身』のフランツ・カフカから
名前を借用しているわけですが、
そのカフカが一生過ごし続けた都市がプラハ。
おそらく居心地が悪かったろう生涯を、
退屈な公務員として暮らし続けた都市プラハ。
そして、ミラン・クンデラの小説
『存在の耐えられない軽さ』のプラハ、
「プラハの春」のプラハ、
挫折した青春の都市プラハです。
ヨーロッパの暗い冬を過ごしに行くのです。
一つでも ままならないのに・・・
でも、仕事も生活も病気も全てうまくコントロールできているとのこと、よかったです
もちろん そうでなければ、ドイツ留学なんて計画できないですよね
私、けっこう自分の思い込みで、あまり考えずにコメントしてしまう傾向があるので・・・
突然、話は変りますが
「ノルウェイの森」は、純愛を描いているそうですが、今 映画化されて話題でしょう
私は上巻の半分ほどで読むのを放棄してしまいました。
真の純愛を理解するのは難しいです。きっと人それぞれ違うものなんでしょうね、愛って!
あ、お気遣い、ありがとうございます。
少々上記の文章を手直ししました。
上記に書き加えたように、
自覚症状がないので、
「我慢」してないです。
廻りに「配慮」する必要もありません。
むしろ、自分の我が儘を貫きたい時、
病気が「味方」になってくれますので、
廻りの方が「配慮」してくれます。
(私としては、
まったく自覚症状のない病気を持ち出して、
自分の我が儘を通すわけですから、
なんかうしろめたい気分なのです)
その点で、
病気も、
仕事や生活も
うまくコントロールできていると思っています。
もし、贅沢を言っていいのなら、
「純愛」とか「至高の愛」なんぞを
二つ三つ手元に転がしておきたいような…(笑)。
「違う自分を表に出してみたらどうでしょう」だなんて、失礼しました
コメント お気にさわったら、ごめんなさい
安寿さんは、ユーモラスに自分自身を客観視できる方ですね
私の知り合いの方も、難病指定の病で手術した後 ずっと治療費がかからない言ってましたが
結局、検査データを取られることで 医学の進歩に協力している(させられている)んですよね
私が思うに安寿さんは、「たくましい」でも「鈍い」でもなく、「我慢強い」のだと・・・
自分で我慢しているという自覚がないほど、まわりに配慮してしまい
「痛い」とか「辛い」とか言えなくなっちゃうのではないですか
異国で生活するのは、自分を解放するためにも良いことだと思います
今までの自分を知っている人がいないのですから
無理しない範囲で、違う自分表にを出してみたら どうでしょう!