ノストラダムス
- カテゴリ:その他
- 2010/12/14 22:14:17
―15世紀―
ルネサンス漂うフランスではペスト病が流行っていた。
人々は高熱でうなされ、顔には黒いあざができ、1度発症してしまうとわずか1週間で死んでしまう死の病。
町人は苦しみ、医師に助けを求めるのだが、
医師たちは自分たちもペストに感染してしまうのではないかという恐怖で尻込みをしていた最中、
ここで一人の医師が果敢に乗り込み、治療に尽力をつくしたという。
彼の名はミシェル・ド・ノートルダム。
(ラテン語で言うと、ミシェル・ノストラダムス)
ユダヤ人が先祖となる彼は1503年12月14日フランスで生まれた。
母方の祖父により幼いころから、医学・数学・天文学・西洋占星術の手ほどきをうけ育ち、
15歳にはアヴィニョン大学へ入学。さらには23歳頃になるとモンペリエ大学医学部へ入学し、薬剤師・医学博士号を習得した。
また、友人のアジャンの招きで彼は住居を移住し、その土地で出会った女性と結婚をし子供もできた。
しかし、2年後、妻子は謎の死を向かえ、彼女の実家から持参金などをめぐって訴訟させられ、さらに、元来気難しい性格であったアジャンとは険悪の仲となってしまう。
最愛である妻子との死別。また友人との不仲となり、自分の居場所をなくしてしまったノストラダムスは旅に出た。
長い歳月放浪を続け、そして、とある町に訪れたとき、この町ではペスト病が流行っているのを知ると、
すぐさまペスト病患者に消毒や薬の調合などをして治療を行った。
ペストの原因はネズミであるとも見抜いた。
すぐさまネズミ退治を行い、ペスト病が沈静化せせ再び旅に出たのであった。
旅の途中、未亡人の女性と出会い、再婚をした。
その頃から、ちょっとした不思議な力が身についてきた。
とある教会で一人の修道士と出会い、「貴方は将来ローマ教皇となる」と言った。
当たり前のことながら、周囲の者たちは失笑して誰も信じようとしなかったが、
数年後、修道士は本当に教皇になってしまい、辺りの者は皆驚いた。
他にもノストラダムスは先の未来を続々と告げ、
これは偶然ではない。ノストラダムスは預言者だとすぐ周りに知れ渡っていった。
未来を予言できるとして、
”ノストラダムス師の予言集”というものを執筆して著述活動を行った。
町で売られるとたちまち大評判となり、本で獲た金額を運河の建設にあてるなど出資活動が行われた。
予言師ノストラダムスの噂はあっという間に王宮に広まり、預言集出版してわずか2ヵ月後、お城に招待された。
どんな謁見をしたのかはさだかではないが、
この期をきっかけに王侯貴族達の占星術師として活躍する。
しかし、2年後。
ノストラダムスは突然秘書に
「夜明けに生きている私はいないであろう」と語り、
残してあった「寝台と椅子の間で死ぬ」との予言詩通り、
翌朝、彼の言った通りに死んでいったのであった…
~補足~
仕事の休憩中、ブログのネタ探しに
面白いものないかなと、Wikipediaを見ていたら、
12月14日はノストラダムスが誕生日ではないか!
本日のブログに採用させていただきます。
と、調べて書き込みしたのはいいですが、
話が長いよ~。内容が固いよ~。
ドキュメンタリー番組のナレーションみたいな感じだよ~。
と、ブーブーブーと不満です。
私はもっと良い文章が書けるよう上を目指すのだ。
ノストラダムスと言えば
一時期、世界が滅亡すると話題になりましたね。
この頃の私は純情なる女の子でございました。
毎日ずっと布団の中でガタガタと振るえ、
いざ滅亡する時刻がやってきて、
時計の秒針を数えてカウントダウン。
5・4・3・2・1
シーン…
何も起こらなかったよ。
こんな記憶が残っております。
たぶん何も起こらないでしょうね…
と言うかなにも起こってほしくないし
まだ小さかったので記憶は全然ないんですが(^ω^;)
ペストに立ち向かった勇敢な医者やローマ教皇になった話は初めて聞きました。
ただの予言者だと思ってた・・・(コラ)
富士山大噴火を予言したのは誰だっけ(∵)?
勉強になりました。
滅亡の予言をした人っていう認識しかありませんでした^^;
ペストのときにこんなに頑張っていた方だんたんですね。
蘭丸さんのブログは本当にいつも、面白くてためになって大好きです^^
私も滅亡の時、一人でビビッてました^^;
歴史上の人物や出来事が
とてもわかりやすく載っているので
楽しいですよ♪
そのころ何をしていたかな~
いい味出してるぜ。
世界が滅亡する頃、生後6ヶ月の息子にミルクやってた(・ω・)