いづれの御時にか……
- カテゴリ:小説/詩
- 2010/12/11 22:02:35
で、アレコレ書こうと思った恋愛モノ。
題名でおわかりですね。はい『源氏物語』です。
それこそド直球の恋愛モノじゃん、と言われたらグウの音もない。
でもそこは千年生き残る話、厚みが尋常ではない。
みやびやかな恋は、貴顕の人々の政争と重なりあってもいる。
それに恋愛よりむしろ登場する人物、特に女性たちの人生とその心情こそが、作品の魅力だと思う。
現代的な見方では感心できない光源氏はしかし、恋多くはあるが不実ではない。当時の社会通念が問題こそが問題で、男がそれに則って振る舞えば自然女には辛い場合が多くなる。
源氏はモノガタリの登場人物としてなら魅力的な「才にあふれ情も実もある困ったちゃん」なのだ。
作者はその時代の社会通念・常識を前提にしていて、なのにそんな世のあり方からくる女性たちの嘆きや悲しみを、現代的に感じるほど明確に描いていて、千年前の女たちの怨嗟の声が聞こえる心地がする。
年月が経っても人はかわらんなぁと実感する部分も多く、読んでいて身につまされる。
もっと肩の力をぬいて下世話な話をすると、出てくる相手のタイプや関係性が多彩でバラエティに富んでいるのが面白い。
亡き母に似た父の妃への思慕に始まって、身分の高い人から中流まで、人妻、未亡人から、光源氏計画と揶揄される行動wもあり、寝取り話があれば因果応報なのか寝取られる話あり、オタク業界で属性と呼ばれるものは、ほとんどあるような気がするw
それも狙って書いたのではなく、その人物の境遇・身分や性格から、その心情・行動になったのがうなずける、たくまざるモノなのでそれだけに奥深い。
書かれる女性たちは、それぞれ魅力的なうえ、これは田辺聖子さんがどこかで書いていた気がするけど、源氏の恋人となる女君たちが、必ず素晴らしく思えるよう書かれた場面がある。
不細工で気が利かず、コミックリリーフ気味な末摘花でさえ、源氏失脚の際に、世間知らずだが純で優しい、誠のある女性として描かれる。源氏の復帰を信じ続けて報われたときには、ホッとした。
美人ではないが共にいて心安らぐ癒し系の花散里のような人物が書かれているのも時代を考えると凄いことなんじゃなかろうか。
好きな女君二・三人をあげてくれと源氏物語既読者にきいてみると大抵、考え方や嗜好がが判る、その人らしいと納得できる答えが返ってきて面白い。
女性には意外と朝顔の斎院をあげる人が多いが、このあたり、男性にはわかってもらえるのだろうか?
朧月夜をあげる人は、やはり華やかな恋愛をしていた。
明石の君と雲居雁をあげたクラスメイトは、いい奥さんになっているのではと思えるタイプだった。
ちなみにわたしのご贔屓は、一番は葵の上、次はたぶん朝顔の斎院。読んでいる時はさすがに恐かったりするが、すこし離れていると六条御息所が、その誇り高さが切なく気の毒で、肩入れしたくなる(この面子をあげる自分は、面倒なヤツなのだろうなー、とは我ながら思います、ハイw)。
しみじみ読み込むことも、ミーハーにキャラ萌えすることもできる、こんなに面白い話が、学校教育でも必ずふれられるわりにあまり読まれていないのは実にもったいない。
再話された小説も、現代語訳も何種もある。
わたしが最初にふれたのは多分小学校時、田辺聖子さんの『新源氏物語』だった。後何種かの訳で読んだが、実は原文では通しでは読んでいない。
が、学校の古典教育は、ほぼ紀元千年――源氏物語成立頃の文法を教えているので、活字おとしで話者の付記があるテキストでなら、当時の習慣・習俗を念頭におきさえすれば、すこし頑張れば読むことも可能だ。
実際、「現代語訳」なるものの存在を当時知らなかった友人がこども時代に、仕方なく図書館で、注を頼りに原文で読破したらしい。
「訳本があるなんて知ってたら、面倒なことしなくてすんだのに~」
と愚痴っていたが、面倒をおして読み通すほどに面白いのだ。
大和和記の漫画版『あさきゆめみし』がでて以来、読む人がふえて、話せる相手がふえたのがうれしい。
これだけの条件が揃っている割に読む人が少ないのは、やはり学校での紹介の仕方に問題がある気がする。
自分の場合、中学では「若紫」の巻が、高校では「若菜上」の巻からの文章が教科書に載っていた。
「若紫」はいい、可愛いし。
が、「若菜上」は後の悲劇の発端が書かれた、動き自体は少ない話で、初読に向かない気がする。どうしてこれを取りあげたのだろう?
ここはひとつ、雨の夜の品定めの場面あたりで興味をひくべきじゃないだろうか。
ヒマな公達がどんな女がいいの望ましいのと好き放題言っていて、いつの世もかわらないなと、若者の興味ひけるように思うのだが。
「若紫」と「若菜上」に共通点があるとすれば、共に垣間見(のぞき見)シーンがありことくらいか。
なんか、フェティッシュな嗜好の選者でもいるんですか~?
概要は学校等で聞き知っているので、部分を読んで楽しむこともできますよね。
なのに手にとられること自体が少ないのはどうしてだろう?
翻訳・再話等々も多いので、さほど肩肘張らずに読めると思うんですけどね〜
「古典」という看板がついてしまうと、敷居が高く感じるのでしょうか?
恋物語は不変ですね