12月自作/「雪・氷」
- カテゴリ:自作小説
- 2010/12/10 16:36:19
『禁忌の御山(きんきのおやま)』
一尺の石刀を握り締めたホゥ(梟)は、なぜ冬の御山に入ることが禁忌とされているのかを悟らされた。
ホゥは今、一頭の熊と対峙していた………
ホゥが禁忌を破って御山に来た理由。それは、晩秋の狩りから戻って来なかった兄クィ(亀)の形見を探すためだった。もちろん一族の禁忌を破ろうとしたホゥを家族は引きとめた。だが、日が経つにつれホゥの脳裏には兄の笑顔がくっきりと浮かび上がり、堪らなくなったホゥは、家族が寝静まった深夜こっそりと住処の竪穴を抜け出したのだ。
クィが戻って来なかった日から御山は雪を纏い始めた。まるでホゥの目的を邪魔するように山道はどこも真っ白だった。膝まで雪に埋もれ、脛を凍らせながら山道の半ばまでホゥが辿り着いた時、ふいに藪の中から一頭の熊が姿を現したのだ。
口端から涎を垂らした熊は、低い唸り声を上げながらホゥの隙を窺うように睨みつけた。対するホゥも、眼前で石刀を構えながら一瞬たりとも目を逸らそうとしなかった。逸らせば襲い掛かってくることを知っていたからだ。
そして、膝下まで雪に埋もれたホゥが石刀を握り直した瞬間、熊は山道の上からのしかかるように右手を振り上げて襲い掛かってきた。瞬間ホゥは、間合いを取ろうと後ろに退こうとした。すると突然、ホゥのアタマに声が響いた。
『ホゥ、退くな。突っ込め!』
声に導かれたホゥは、思わず熊の顔をめがけて身体ごと石刀を突き出した。その瞬間、振り下ろされる熊の爪も突き出される石刀の動きも、周りのもの全てがホゥにはゆっくり動いているように見えた。
熊の爪がホゥの身体を捉えるよりも早く、石刀が熊の左目を貫いた。だが、振り下ろされた熊の手は避けきれず、ホゥはそのまま雪道の上に仰向けに叩き付けられた。雪がなければ間違いなく意識が飛んでいたほどの衝撃で、ホゥは数瞬息ができなかった。
一声大きく叫び声を上げた熊が、もがきながら左目に突き刺さった石刀を払い落とした。そして、喘ぎながら身体を起こしかけたホゥに再びのしかかってきた。
後ろ手で身体を起こしたホゥの目に熊の牙が見えた時、ホゥは雪の下で手に触れた棒を思わず握りしめ、のしかかってくる熊の体に無我夢中で突き立てた。熊に押し潰されたと思った時、ホゥの目の前は真っ白になり、アタマの中まで真っ白になった………
数瞬後、意識を取り戻したホゥの目には、雪を被った枝葉の隙間から見える青空が映っていた。のしかかった熊は微かにピクピクと身を震わせていたが、その背中には突き立てた棒の先が覗いていた。
硬直した手に熊の血の温もりが伝わってきた時、ホゥの心の中に熱い思いが湧き上がり、見開いた目から一筋の涙がこぼれた。その瞬間ホゥは、心から禁忌を破ったことを後悔した。
ホゥの一族にとって、食のための行為だけが許された殺生であり、たとえ我が身を守るためであっても食に繋がらない殺生は神の意志に叛くものだったからだ。
動かなくなった熊の重みを感じつつ、ホゥは心の中で何度も熊に「すまない」と謝りながらふと握り締めていた棒の先を見つめた。
棒だと思ったものは槍の柄であり、それは兄クィの短槍だった………
・・・終わり・・・
細かいことはさておき、大筋は前回につづき特異なムードと兄弟の絆が良く描かれですね。
神が多くを支配する時代。
人は禁忌を破ることなく暮らすことを当然のように受け入れていて、それでも兄の形見を探すことを望んだ弟は、世代の変化のきっかけになるかもしれないと思いました。
兄の形見だと知った瞬間の、弟に去来したものは何だったんでしょう。
禁忌を犯した者としてではなく、兄の形見を持ち帰った者という形で山住の一族が弟を受け入れたら、一族はその姿を変えるのかもしれませんね。
続編、面白かったです。
こうして続きが読めるとは思っていなかったので嬉しいです。
神の思召しと死を受け入れた兄。神の意思に叛いた弟。
兄側は一瞬で死がやってきたので状況はちょっと違いますが、弟側は死に抗ってしまう。
これもまた、自然な姿ですね。