フェアリング・サーガ<2.0>
- カテゴリ:自作小説
- 2010/11/17 23:55:03
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その男は、当時はまだ誰でもない、名もなき存在にすぎなかった。
ジベータσ<シグマ>外縁部、エータベルト帯の複合資源採掘/精製/生産プラントの集合ターミナルの一画<エル-エータ>のD5ブロック、エル-エータ開発初期に資源生産が行われ、内側から虫食い状に資源を吸い出され、しゃぶり尽くされた資源小惑星のなれの果て、薄暗い照明、無数の配管やケーブル類が剥き出しの通路、循環の悪いよどんだ空気が充満し、ゴミの様な、ガラクタの様な、さまざまな機械部品が山と積まれ、足の踏み場もないくらいに、壁、床、天井を無数の配線が這いまわる一画が彼の住処だった。
安っぽいネオン、嗅覚を刺激するさまざまな香りと臭い、充満するスモッグ、酒、煙草、各種ドラッグ、猥雑さが所狭しと混在するかのような資源プラント労働者向けの歓楽街の内側、その安っぽい小奇麗さを支えるインフラ及び各種ライフラインが通るメンテナンスダクトをぶち抜いて作られたそこは、部屋と言うより穴蔵だった。その穴蔵に引き込まれた無数のインフラシールドを通して感じられる世界が彼にとっての現実だった。ヴァーチャライザによって再現させる電脳に接続した仮想空間が。
瞬く安っぽいネオンや循環不良の薄汚れた空気など、彼にとっては現実と呼ぶに値しなかった。刺激的でなく退屈し切った世界など、チープな五流アプリケーションに過ぎなかった。その世界へと彼を誘ったのは、彼が親仁<パーパ>と呼ぶ存在だった。パーパは彼にその超現実を見せ、触れさせ、感じさせ、そして教え、誘った。パーパがいなければ、世界からも実の両親からも見放された彼は、とっくの昔に、野垂れ死ぬか、しがないプラント労働者として一生を終えていたに違いない。しかし、パーパによって開花した彼の才覚は、彼に宿命をももたらした。それはある意味において必然であり、運命だったと言えるかもしれない。
彼の職業は超星間通信ネットワークのシステムサーバーの下請けのまた受けのまた受け管理者という肩書だったが、実際はその肩書を使ってインフォネットを渡り歩くフリーカーの端くれだった。その業務内容は手広く、星間ネット情報調査/収拾から、プラントのマクロシステムの構築/復旧まで手掛けていた。その依頼の多くはフリーク仲間のブライアンの仲介だったが。
彼の受け取ったそのメールの差出人はブライアンではなかった。内容は化けていて、意味不明なものだった。まるで、ノイズの塊だ。しかも大容量。いったい誰が、何のために送ったものなのか。ただのイタズラとは思えない。珍しく、彼はその、意味、に、興味を見出した。
コンソールを操作するなんて時代遅れだ。キーボードを叩くなんてエレガントではない。と、彼は思っていた。彼が使うのは、直接思考操作タイプの操作系、BCIヘル。見た目は安っぽいアクションヒーローの仮面の様なフルフェイスヘルメットだが、超高性能インターフェースマシンだ。エンターミナルに接続されたそれを被れば、彼はジベータσのあらゆる場所へ、インフォネットを伝って降臨できた。
天国の扉<ヘブンズ・ゲート>と、彼が作成し、名付けたアプリを起動すると、視野上に巨大で荘厳な門が現れた。門の前に立つ、彼が鍵師<キー・メーカー>と呼ぶトレーサー、巨大で異常とも思える数の鍵の付いた鍵束を持つ老婆に彼は件のメール手渡した。鍵師はメールの送信経路を逆探知し、ヘブンズ・ゲートのリンク・ショートカット創出するアプリだ。
鍵師は巨大で無数の鍵の連なる鍵束をジャラジャラと言わせ、鍵を探す。やがて、様々な形の膨大な数の鍵の中から、一本の鍵を取りだした。彼は、それを受け取ると、ヘブンズ・ゲートの、その大きさとは対照的な小さな鍵穴に差し込んだ。鍵は鍵穴に吸い込まれ、ガチャリと何か組み合わさって回るような音がしたかと思うと、その巨大な扉が音も無くゆっくりと開いた。彼は開かれた世界のその中に足を踏み入れた。
<to be continued>