「山男とサーファー」22
- カテゴリ:日記
- 2010/10/16 22:06:57
高度計はすでに八千㍍を越えていた。
あてにはならない、という事を俺は知っている。雲が凄いスピードで流れていく。
マイナス30度からマイナス50度へ。
想像を絶する寒さだ。
鼻水がすぐ凍る。排便と小用は、極力寝袋の中でやった。面倒でも、ピトンやハーケンを打ち込んで、ザイルとハンモックで吊るした簡単なベッドを作り、その中で用を足した。
マイナス50度は、外で用を足すには危険すぎた。
寒風吹きすさぶ、というよりも、第三の極地、高高度ではあっという間に凍る。
缶詰の空き缶に用を足して、外に出すと、四、五秒ほどで臭いもなく、カチカチになる。あとはそれを捨てるだけだった。
第二次世界大戦中のナチス・ドイツが、ソ連軍に大敗を喫したのも、その認識不足によるものである。マイナス50度以下の世界を体験した者はほとんどいない。
服装しかり。武器、弾薬があっても、武器は作動せず、車輌に至っては、オイルさえも凍り、兵員輸送のトラックどころか、装甲車や戦車もこわれる始末。もし、ドイツ軍が頭のいい軍隊であったら、歴史は塗り替えられていただろう。
ドイツ軍は、ナポレオンと同じ愚を繰り返した。
砂漠では強い機甲師団も撤退を余儀なくされた。
逆にソ連軍は服装からして違い、長靴には、新聞紙やワラを入れて足の凍傷を防いだ。武器も毛布のような物でくるんで、凍結を防止した。
一方、靴の裏に鋲を打った軍靴では、凍傷にすらなり、全くドイツ軍は敗れるべくして敗れたのである。極寒の地はそれほど厳しい。
大日本帝国の軍隊も、長大な戦線の拡大により、、負けるべくして負け、精神と肉体的な強靭さだけでは戦さは負ける。そこに、合理性と知恵がなければ、何事もなし得ない。
いかに孫子の兵法を学ぼうと、皆が皆、学んでしまえば同じことになる。かえって、敵同士が疑心暗鬼に陥って、互いに手を出さないものだ。油断と驕りが最大の敵である。
俺に合理性や知恵があるかは、本人には分からない。メスナーのコピーとしての行動も、俺に運がなければ駄目だ。
弟ギュンターを失い、彼も足の指を失った。身内の死をも乗り越えて、たった一人で成し遂げてしまうその精神力には、ただ脱帽するほかはなかった。