フェアリング・サーガ<1.3>
- カテゴリ:自作小説
- 2010/10/14 20:48:46
<from 1.2>
ヴィンセントが気付くと、ニアは盛り上がる二人を無視して、歩み去ろうとしていた。
「ちょ、ちょっと待って」と、慌てて追いかける。
「なんだ。まだ何かあるのか」と、うざったそうなニアの視線にまたも射される。
しかし、好奇心がヴィンセントを踏み留ませる。
「あなたは、ヴァリスを知っているのか。彼女が企むというのは」
「さっき言ったはずだ。知らない。と」
「じゃあ、彼女が何者なのか、も」
一瞬の間があった。
「あれは、あれとしか答えようがない」言葉を選んで答えているようだ。「お前たちをこのジグへと連れてきた存在。そうとしか言いようがない」
「ジグ。それはジベータのこといっているの」
ニアの目つきが鋭さを増す。表情は一変し、憎々しげなものへと変わる。
「既に傀儡か!」と、吐き捨てるように「ならば、せいぜい余生を楽しむことだ」
ニアは踵を返し去ろうとする。しかし、その腕をヴィンセントは掴んだ。
「待ってよ。急にどうしたんだ」
「放せ!」と、ニアはその手を振り払う。
「すみません」と、手を離す。「でも、おれは何も知らないんだ! あの日、何が起きて、ノアベータがどうなったのか。家族や友達がどうなったのか! 気づけば、ベッドの上で、気づけば、話が進んでて。誰に聞いても、ノアベータなんて、知らないという! わけがわからなかった! おれの家は! 故郷は、どこへ消えてしまったんだ! でも、どうすることもできなかった! どこかもわからない場所で、考えるだけ無駄だった! 狂ってしまいそうだったよ! いっそ死んでしまおうかとも何度も思った! でも、それもできなかった。そしてら急にヴァリスが目の前に現れて、ここへ来たんだ!!」
ヴィンセントは叫んだ。彼はあの日、ヴァリスに救助された日に何が起こったのか知らなかった。彼が知るのは、自分が救助されたということ、だけだった。
あの日、災厄の日。スペース・コロニー<ノアベータ>は混乱状態にあった。
揺れるはずのないものが、揺れ、起こるはずのない嵐が、起こった。
突然起こった事態に、あちこちから人人の悲鳴、怒号、泣声、不協和音がわき起こった。
当時、ヴィンセントには実際に何が起こったのかはわからなかった。彼が最初に感じたのは揺れ。それも、立っていられないほど激しいものではなく、あまり激しくはない振動。そして、突然目の前に表示された訓練でしか見たことのない、避難指示だけだった。
その日、スペース・コロニー<ノアベータ>は、突如発生した、原因不明な事態に見舞われた。
最長個所では数十キロメートルにもなる巨大な宇宙建造物でありながら、外壁全体にわたってまるで惑星大気圏にでも落下しているかのような、高い圧力と熱が生じたのだ。その原因により外壁には無数の亀裂と大穴が複数の口を開き、コロニー内の大気はそこから宇宙へと漏れ出した。こういった事態を想定して設置されていた応急システムによる復旧も、想定をはるかに超えたコロニー全域にわたる破壊的被害とその急速な進行速度によって、あまり役には立たずに、その巨体は為す術無く外壁に近い区画から順々に崩壊を始めた。
ヴィンセントのいた区画は奇跡的に損傷の少ない区画だった。だから彼には避難する時間的猶予が少しだけあった。しかし、コロニーの崩壊は時間の問題だった。
避難指示が出されたときヴィンセントは、構内のライブラリ・スペースにいた。そこは吹き抜けた広大な空間だったが、採光システムと直結し、コロニーの気象環境システムの管理下にあるコロニー内で最も広大なパブリック・スペース、コロニーに住む人々が屋外と呼ぶ空間からは隔絶された施設だったため、何が起こったのかは全く分からなかった。
したがって、緊迫感と言うものは全くなかった。指示に従い避難を開始した人も数多くいたが、その行動は緩やかで、すぐには避難しようとしないものも多かった。
廊下に出ると、普段はあり得ない人口密度。避難する人々でごった返していた。ぞろぞろと流れてはいるが、一向に出口に辿りつきそうにない。
しびれを切らしたヴィンセントは、退場する列を離れ、独自避難を開始する。少し遠回りになるが、普段はライブラリの管理職員用通用路なっている区画から、非常口を通じて避難シェルターへと通じる経路があることを彼は知っていた。
それは秘密でも何でもなく、施設見取り図を知っていれば、難なく思いつくものだが、ライブラリ資料もサーチガイドに従って探すこのご時世に建築構造にでも興味がなければ、そんなものを見るものはもちろん気に留める者もない。
ヴィンセントは、ぞろぞろと流れる人の流れを逆行し、ライブラリスペースの奥深くへ。普段もそうだが、一般通用路を外れると全く人気は無くなる。何度か興味本位で通った道、最初はかなり迷った複雑な経路を迷うことなく進み非常用通路へと出た。そこへ来て、立っていられないような激しい揺れが彼を襲った。
<to be continued>