Nicotto Town


人生カカト落とし


祝・完結 其の二

其の一よりは知名度低いだろうけど。
『パラケルススの娘』(五代ゆう メディアファクトリーMF文庫刊)が第十巻「永遠に女性的なるもの」をもって完結した。
シリーズは初(これまでは冊数があっても長い話の分冊だった)、足かけ五年、長かった。

はい、予約についてで書いた本でございますw

作者はライトノベル作家としては有数の筆力を持つ書き手だが、やや寡作で、知名度は高くない。
作品が「ラノベじゃねェ」と言われることもあったしw
シリーズ終盤はなかなか刊行されず、作者が以前大病をしているのもあって、体調を崩したか、それとも打ち切りか? とハラハラした。
どちらでもなく、ホッとした。うん、良かった。

時は十九世紀末。退魔の家の跡継ぎに生まれながら、何の能力も持たない跡部遼太郎は、厳格な現当主である祖母の命で修行のため英国へと送られる。
体のいい厄介払いだろうと意気消沈する遼太郎の前にあらわれた祖母の旧友は、「パラケルススの娘」を名乗るうら若き女魔術師だった……

えー、ネタバレは無いようにとは思いますが、以下作品の内容(あとフルメタの内容にもちょっと)に触れます。嫌な人は回避のほどを。

開始直後、ラノベらしさへの配慮のせいか、枚数不足や、ぎこちなさを感じた。

雑誌で語ったところでは、作者がこのシリーズに設けた制約は「各巻ともに女の子を出すこと」。
確かに多数の女の子が登場する。
素直じゃない婚約者に、可憐な義妹。感情がないかに見える、しかし魂を持つ機械仕掛けのメイドの少女など、ある意味とても「ライトノベル的」だろう。

作者は本来、文章力・構成力等ライトノベルらしからぬ部分にこそ魅力があるストーリーテラーなので、サービスに気を遣った(ように感じる)配置などが、すこし痛々しくも思えた。
だが。人物たちとの馴染みも増え(彼ら・彼女らの成長もあったし)、その上で得意な方向へと走っていって、作者らしい話に落ち着いた感がある。

シリーズの根底にあるのは、映画化もされた世界的ベストセラー小説の背景と同じ題材だ(なるほど、それでその名前かと腑に落ちた)。
その他、ストーリーを作り上げる材料は多彩だ。
〈魔術師シモン(シモン・マグス)〉、「さまよえるユダヤ人」、パラケルスス……
古典作品のオマージュをまじえて数多くの名作幻想小説の残響をひびかせながら、長い物語を突っ走った。 
(最終刊のサブタイトルは巻末にあるように、ゲーテの『ファウスト』から引かれたもの。作中の構図を考えると、なかなか意味深かも)


実はこの話、終盤の大枠のストーリーの構図では、先日書いた〈フルメタル・パニック〉と似た部分があるのに気がついた。

人は愚かであやまちを繰り返す。悲惨があるのを承知で今ある世界を選択するか?

突きつけられる問いに、彼ら/彼女らは選択を迫られる。

そう言えば、いざこれから決戦、というときにようやくたどり着いた主人公がヒロイン(というには両作品とも、状態とかありようとか問題アリだが)を面罵するのも共通していたかw
フルメタでは「らしい」と笑いも出つつうなずいたが、この話では真っ当にして痛快な罵倒文句に主人公の成長を感じて感慨深かった(って変?)。

双方の物語での決断は、「正しいこと」かどうかではなく、「しなくちゃいけないと思うこと」、自分として望み、願い、選ばずにいられない行動としてなされた。

フルメタは幸せなキスで幕を閉じたが、遼太郎たちのその後に待ち受けているのは誰もが知っている史実の悲惨だ。
自責の念に煩悶しながら、それでも前へ進もうとする主人公を見せる幕切れは見事だ。


でも、この世界のアレコレは、身近な大切な人を守りたかった遼太郎のせいではない、わたしたち自身の問題だ。
これ以上サー・マックスウェルが悲しむことがないよう、奮励努力しましょうぜ。
『――生きているかぎり、僕たちは永遠に努力し、学びつづけることができる、』
のだから。




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