春よ、来い
- カテゴリ:日記
- 2010/09/22 12:33:52
野口雨情のしゃぼん玉でも書きましたが、
歌の歌詞って、背景やあることをきっかけに一変します。
春よ、来い
も、私にとって、ある日、突然一変したのです。
それは、5年前のことです。
その頃、私はお付き合いしている人がいまして、
その彼女の友人が病気で亡くなったのです。
まだ、31歳という若さでした。
その方は、まだ、新婚で、残されたご主人は、(あたり前ですが、)大変だったそうです。
直接は、お逢いしていませんが、彼女から聞く話によれば、
その後、仕事を辞め、ずっと、二人の思い出の地を旅していたそうです。
ある日、彼が旅から戻ってきたとき、亡くなった奥さんが好きだった音楽を
集めたらしく、友人である彼女はそのCDを受け取ったそうです。
その中に、このユーミンの”春よ、来い”がありました。
私の彼女は、それを聴き、何度も何度も泣いていました。
君に預けし 我が心は
今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても
ずっと ずっと待っています
私もこのお話を彼女から聞き、この歌を聴き、
はかりしれないその旦那さんの心情に触れ
涙しました。
それ以来、この歌を簡単には聴けなくなりました。
まさに、一変したのです。
その後、私も彼女と別れてしまったので、
そのご主人の今は知れませんが、
なんとか元気になられてることを切に願っています。
このような受け止められない現実。
それでも、前を向かないといけない現実。
私は、いまだに、釈然としないままです。
それでも、生きなきゃダメですか?と、もし問われたら、、、
私はダメな人間だなぁ。
言葉をみつけることができません。
奥さんの分まで生きなきゃと、明確な答えはあるのに
それを、云えない自分がどこかにいる。
そんなことをつくづく考えさせられる出来事でした。
人は生かされているという言葉。ボクは大好きです。
それは、最近、だんだん身にしみてかんじています。
こんな悲しい出来事に、ただ心がぐらついて何も云えなくなるのも、
謙虚さを失っていきている部分が、どこかにあるのかもしれないですね。
けして、重いコメントとは思いませんよ。ぺぐさんだからこそ、説得力のあるお話だと思います。
いつもこんな人の亡くなる話や母の話で、ぺぐさんに申し訳ないなぁって感じてます。
いつも、さばさば話されるので、それに甘えさせていただいています^^ありがとうございます。
生きなくちゃだめです
人は生かされているのですから・・・
ワタシの知人で 余命数ヶ月を宣告されている方がいます
1日でも長く 家族と過ごしたいそんな思いが伝わってきます。
私も子供の頃に亡くした母と同じ年齢になった時に
旦那さんに言った事があるんです。
『もし私が死んだら泣くのは一日にして後は笑って生きてね』って
子供の為にもそうして欲しかったので。
やっぱり残された人には元気に笑って生きて欲しいですからね^^
重いコメントになってごめんね^^
ええ、ちゃいさんの云う通りだね。このご主人の中に亡くなられた奥さんは、生きていくんでしょうね。
でも、それも時間が大切になってきますね。
このときは、その事実を受け止めるのに、仕事止めてまでして、旅されてましたが、
それが、いつしか穏やかになって、心の中に生き続けていく日が来るんだと思います。
この方は、すごく遠回りをしながら、時間をかけて、そうしていくんでしょう。
そうこの方は、私が心配するようなことは、考えないすばらしい方です。
むしろ、私が、だらしないだけですね。
ボクが、その立場だったらって、想像もできやしないのに
考えこみましたよ。
その人を想っていた気持ちも、一緒に過ごした思い出も
思い出せなくなるっていう事だもんね。
昔の記憶を懐かしく思い出せるって、人間として生まれて
自分は今ここに生きてるっていう証の一つだと思うんだ。
その思い出が、好きな人との思い出ならなおさら、今生きて思い出しているその時間を
幸せな瞬間だと思わなくちゃいけないのかも^^
とってもくさ~いセリフだけど、本当に思うのは、
体は無くなっても、思いだしてくれる人がこの世にいるだけで、
その人は生き続けているんだと思う~(*^∇^*)ノ゛
そう思えるまでには、とても簡単な道のりではないけどね。
おっと!!!真面目にコメントしてしもたw(。・_・。)
そういうコトがあったんですね・・・