三月三日
- カテゴリ:日記
- 2009/03/03 23:07:17
ひな祭り(桃の節供)ひなまつり(もものせっく)
年中行事 <三月三日>
女の子のいる家庭ではひな人形やその調度類を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花などを供えて、女の子の健やかな成長を願う行事。日本には元々三月に上巳(じょうし)節といって、禊して穢れを祓う習慣があった。撫物(なでもの)としての小さな人形(ひとがた)を紙や土で作り、これで体を撫でて穢れや禍いを移し、川や海に流していた。この撫物が、やがてひな人形に代わり、ひな祭りとなった。
《由来》
桃は古来より邪気を祓い、百鬼を制すという魔除けの信仰があった。桃は兆に木偏がついた文字で、兆とは太占(ふとまに)での骨のひび割れを象ったものとされる。そこで桃は兆しを持つ木で未来を予知し、魔を防ぐという信仰が生まれた。また日本神話でも伊邪那岐命が黄泉国から黄泉枚坂(よもつひらさか)まで逃げ延びて、そこの桃の実を投げつけ、黄泉醜女(よもつしこめ)を追い払ったとある。そこで伊邪那岐は桃に意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)という名を与え、民の苦しみを救ってくれるように頼んだという。 (→上巳節)
上巳節 じょうしせつ
五節供<旧三月三日>
上巳とは旧三月上旬の巳の日のこと。魏(ぎ・二二〇~二六五)以来、三月三日を上巳とした。古来中国での春の禊の習慣が伝わり、日本では宮中で曲水の宴を催し祓えを行っていた。やがて曲水の宴は廃れたが、上巳は巳の日の祓えとして貴族の間に定着した。これを上巳の祓えという。
《由来》
中国では踏青といって古くから除災の風習があり、川辺に出て青い草を踏み、川の流れで禊を行い、酒を酌み交わして穢れを祓った。秦の昭王が踏青の折、酒杯を川に流した時、金人が秦の前途を祝したという故事に習って、踏青は曲水の宴へと発展した。曲水の宴は細く曲がりくねった流れのほとりに座って、上流から流れてくる杯が通り過ぎないうちに詩歌を詠み、杯を取り上げて酒を飲むという風流な行事である。
《宮中》
宮中では、陰陽寮から奉った人形で天皇が身体を撫で、これに息を吹きかけた後に、常用の単衣などともに下げ渡すのを待臣の手で河原に運び、祓の式を行った後に流した。
《呪術》
形代(かたしろ)としての人形を作り、それに穢れを移して川や海に流して不浄を祓った。これが流し雛(びな)の風習に変わった。
文献調査、と言える程の事ではありませんが…色々な事を調べる事は最早趣味ですね。
興味がある事は気が済む(もしくは熱が冷めて飽きる)まで調べる癖があるものなので。
特に二十四節季などの暦に関する事は、中学時代の恩師から色々と教えて貰いました。
(巨旦調伏の祭礼についても、その恩師に教えて貰った事の1つです)
反応、有難うございます。
斎様
九条先生のブログでコメントを読まさせていただいてます。
すごい、すばらしい。私、素麺の筋しか思い出せませんでした。
私と同じく、文献調査が趣味ですか?
既にご存じかも知れませんが、巨旦調伏の祭礼についてのメモが出てきましたのでご報告をと思いまして。
一月一日----紅白の鏡餅(巨旦の骨肉)
三月三日----蓬の草餅(巨旦の皮膚)
五月五日----菖蒲のちまき(巨旦の髭と髪)
七月七日----小麦の素麺(巨旦の筋)
九月九日----黄菊の酒(巨旦の血)
だそうです。
ふふっ、さすがですね。良きお勉強になりました。
桃は、古より、神聖なもの、という側面がありそうですよね。 仙桃、とか…。
その香気、邪気を祓うものなれば。