吉田松陰は言いました
- カテゴリ:その他
- 2010/09/17 20:41:48
久々の〇〇は言いましたシリーズです。
今回は、吉田松陰についてご紹介。
吉田松陰
幕末の長州藩志士。
1840年。隣国・清でアヘン戦争が起きた時、これまで通っていた兵学の知識が時代遅れだと気付き、このままではダメだと里を離れ、江戸にいる佐久間象山に弟子入り。
1853年。黒船来航。松陰は西洋の文化に魅力を感じ、海外留学しようと幾度が密航しようとするが失敗。
1855年。松陰は実家へ戻り、松下村塾を開き、武士や町民など身分など関係なく、学びたい者は誰でも受け入れた。(生徒の中には、伊藤博文・山形有朋・高杉晋作などいる)
1858年。幕府の大老・井伊直弼が日米修好通商条約を締結。これに意を唱えた松陰は幕府討伐を図るが幕府に捕らわれてしまい、逆に安政の大獄にて斬刑される。
そんな吉田松陰が唱えた句
「 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 」
吉田松陰の意志を継いだ高杉晋作達は攘夷志士として活躍していく・・・
~ 補足 ~
前回の大河ドラマで龍馬伝紀行で高杉晋作が紹介された時、吉田松陰もちらっと出てきましたね!”(*>ω<)o"
次回は、龍馬とお龍さんの新婚旅行か・・・見逃せないな!!
そういえば、私は吉田松陰の松下村塾にちょっとした失敗談がありまして、
“松下村塾”(読み:しょうかかそんじゅく )をずっと “まつしたそんじゅく” とつい最近までよんでいました。
これは恥ずかしい。
他にも読み方を勘違いして覚えている単語がいろいろありそうな気がします。
俺もこういう時代に生まれたかったな~と思うけど、
実際そうだったとしても結局なにもしない普通の人で終わるんだろうな。
松陰はじめ偉人さんには憧れます。
幕末は、登場人物が多すぎて、ちょっと苦手です^^
松陰先生の教えを受け継いだ長州藩士たちは、どんなことがあってもへこたれませんでした
幕府軍の侵攻をも返り討ちにしてしまいました (゚∀゚)♪
先生も名言を残していたんですねぇ!
勉強になります。
ちなみに意味のほうを知りたいです
男らしいな♪
マツシタソンジュク!
あれ?そうだったのかー(๑→‿ฺ←๑)
私も読み方知らんかった
だからこそあとに続く高杉晋作や伊藤博文のような
日本を変えていくような人達の師匠なんでしょうね^^
毎回勉強になります^^
ちなみに私も最初「まちしたそんじゅく」と読んでいました^^;
確か山陰の方にありましたよね?
修学旅行で訪れて読み方を初めて知ったんですよw
カッコいいです!!やばいです!!感動ですよぉ!!
高杉晋作の話を読んで、それで松陰先生に興味を持ったんですけど、
やばいカッコいいですよね、この人は・・・(日本語がおかしい)
この人がいたから、高杉は活躍できたようなものですよね(そうなのか??)
松陰先生は本当にカッコいいですよね。
見た目とかじゃなくて心が・・・。
こんな人に会いたいなぁ・・・。