「青春地獄篇」2
- カテゴリ:日記
- 2010/09/17 00:21:49
「結婚するしないは父の自由です。いくら私が実の子供だといっても、再婚させない理由はありませんからね。それに五年近くも独身でいましたし、何かと不自由なこともあると思っていましたので、再婚する気があるのなら反対するつもりはありませんでしたし、前々から、そのような相手を連れて来るようなことがあっても、嫌な顔はしまいと心に決めておりました」
「賛成してくれるのか」
父は相好を崩して笑った。
( ついに地獄の門が開かれようとしていた。目の前にいる二人こそ・・・・・ああ、私の本当の母と妹とは・・・・ )
このような父の笑顔を見るのは何年ぶりであっただろうか。おそらく母の生前以来のことであろう。その母に死なれて、五年たっていた。
私の云ったことは、まんざら口から出任せでもなかった。
継母というと、子供の頃から、目つきの鋭くヒステリックで鬼のような女を想像していたのだが、目の前にいる女性は、そのような先入観とはほど遠い、義母と呼ぶにふさわしい人のように思われた。
亡くなった母の記憶を、私は今でも心の奥底に留めている。しかし母が死んだことに対する感傷に、いつまでも浸っている訳にはいかなかった。父もまだ若かったし、妻を失った悲しみに、人が変わってしまったような父に、以前のような明るさが戻るということは、私にとっても歓迎すべきことであった。
それから一週間後、二人の女は柴田家の一員となった。
この家も、私と住み込みの家政婦晴子との三人で暮らしていた頃とはうって変わって、活気あふれる住まいに変貌していた。
まるで華が咲いたように、という表現は、新生した我が家のようなことを云うのではあるまいか。家族がふたり増えただけで、知らず知らずのうちに笑いが溢れてくるような、そんな雰囲気が生まれるとは、私自身思いもよらなかったが、父も同様であろう。初めは無理に、自然と楽しくなりそうな心を抑えつけていたのだが、今ではその必要もなくなっていた。
義母は京都の出身で、旧姓を高木といった。二十歳の時に上京して、辛酸をなめながらも、漸く割烹料理屋の女主人に収まることができた。
筆舌に尽くしがたい苦労をしてきたであろうに、そんな様子など微塵も見せない女性であった。父との出会いは意外と古かったようで、義母が店を出した、ちょうどその頃であったらしい。実業家である父は、商用で、義母の経営していたその店に、たびたび出入りしていた。
その、客と女将という関係から、今ではこうして一緒に暮らすようになってしまっているのであるから、縁とは不思議なものである。
卒業が近いのに、義妹の真理子は、某大学の系列校の転校をしていなかった。義妹の事に興味もなかったから、私は二人に何の問いかけもしなかった。