黒備えのジョバンニ
- カテゴリ:日記
- 2010/09/04 19:00:05
イタリアは近世まで、小さな国家がいくつも存在していた。
ルネッサンス文化華やかなりしころは、群雄割拠の戦国時代で、下克上の時代でもあった。
一介の傭兵でも、王になれる時代だった。
ミラノを支配したスフォルツァ家も、その初代は農民から身を起こした傭兵隊長だった。
そんな時代も、大航海時代の幕開けとともに終焉を迎える。
欧州の列強、スペインやフランス、オーストリアがそれぞれの小国を支配下においていったからだ、
最後まで自主と独立を保っていたのは、独自の政治体制をとっていたヴェネチィア共和国だけだった。
そんな時代の最後の傭兵隊長と呼ばれた人物がいる。
ジョバンニ・デッレ・バンデ・ネーレ。
直訳すると黒帯のジョバンニ。
本名をジョバンニ・デ・メディチ。
花の都フィレンツェを支配した、メディチ家唯一の武人である。
母は、イタリア統一を目指した有名なチェーザレ・ボルジアに最後まで武力で抵抗した、カテリーナ・スフォルツァ。
イタリア一の女傑といわれた女性だ。
父は優雅な宮廷人と称された、メディチ家の貴公子。
今に残る肖像画は、きりりとした顔のイタリア系ハンサムだ。
早くに両親と死別したため。メディチの法王、レオ10世の元で養育され、バチカンの教会軍の指揮をとった。
イタリア戦争の時は、縦横無尽に戦い、その勇猛振りをイタリア中に知らしめた。
レオ10世が亡くなった時から、喪に服するため腰に黒帯をしめた。
彼の傭兵隊も、記章に黒絹のリボンと旗をつけるようになって、黒隊と呼ばれるようになった。
メディチ家で武将として歴史に名を残しているのは。このジョバンニだけだ。
戦場で負傷したため、敗血症となり若くしてこの世をさる。
その武勇をイタリア中が惜しんだという。
彼の忘れ形見のコシモは、長じてトスカーナ大公となり、フィレンツェに後期ルネッサンスの隆盛をもたらした。
ジョバンニ・デッレ・バンデ・ネーレを「黒備えのジョバンニ」と名訳した翻訳家に乾杯♪
そうやね~言葉のセンスって問われる・・・・
この人のお母さん、カテリーナ・スフォルツァもすごい人やで~。
暑い中、お散歩おつかれさんどす~
そうそう、よう解っては・・・れへんやんかwww
ジョバンニさんの柔道一直線や空手バカ一代は、また別モンですやん^^:
日本の鎧は以外に色に拘ったものが多いよね。
基本小札鎧やから、組紐と糸で連ねていくけど。
その連ねる紐を赤や朱や青にそめたものでぼかしたりしてね。
翻訳はセンスが問われるなあ。
カテリーナ・スフォルツァも興味。
ちょっと難しいブログだけどがんばって読んだ結果
ジョバンニさんは柔道か空手の達人で黒帯してるのでスゲェ( ゚Д゚)!!
イタリアにも日本の武道が伝わってたと言うありがたいお話なのですね★(違いすぎる?汗
なぞらえたんでしょうね。なにしろ強かったので徳川家臣の井伊家が
旧甲斐の軍を赤備えのまま、配下にしたらしいですから。
それだけ知ってたら、十分イタリア史通やと思うけど~
なかなかのハンサムな傭兵隊長さんやったでしょうwww?
黒帯のジョバンニなんて題名の本だったら・・・
イタリアの柔道チャンピオンのお話診たいやな。
いかに苦労して、オリンピックで金メダルとったかみたいなwww
翻訳は一歩まちがえるとえらいことになるますね^^;
『「ギョエテとは 私のことかと ゲーテいい』 みたいなw
メディチ家もトスカーナ公国も知ってるけど、この人は知らんかったわぁ。
ちょこっと検索したけど、確かに美形でしたwww
海外のものが日本語に訳される時、翻訳家によって印象が違うね。
古典になると、時代によって言葉遣いも変わるから、全く別の本みたいになるし。
もし、『黒備え』が『黒帯』やったら………柔道や空手、拳法家の話しなんやろうと
勘違いしてしまうのは確実やね^^
直訳では文化の違いもあって、意味が通らないことが多いですから。
色のイメージも日本と欧州では違う部分がありますしね。