Nicotto Town



歩調


時の砂は、両手をすり抜けてゆく。

手足は、流れゆく時間をつかむことはできない。

なぜなら、自らにとっての時間とは、過ぎるものではなく、刻んでいくものだからだ。

時計の針が回るのは客観的な時間概念があるからにすぎず、自らにとって流れる時間がそれとは限らない。

個々の時間は互いに同調し、同じ時を刻ませることはできるが、流れが、その足をさらう事はない。降り回すことはない。

歩む速度こそが、私の時間。

足を出さなければ先へとは進まない。

無理に歩調を合わせる必要はないが、その合わせ方は知っていた方が無難かもしれない。

しかし、忘れるな。時<みち>が歩ませているのではない。

私が歩んでいるという事を。

アバター
2010/08/26 01:13
しかしながら、その足が、道<じかん>の方が先に行くのだと錯覚してしまっていたここ最近。
やはり、明確な目指すべく目標/目的なりがなければ、知らず知らず歩調は遅れ、止まってしまう。
足は重く、竦んでしまうのです。
けれども、止まっていた派、それに甘んじていては、悪化や堕落はあっても、一向に改善はなされない。
やはり、進む以外にみちはなし。



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