■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫…(45)
- カテゴリ:その他
- 2010/08/25 01:00:24
■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十(4) - 十一(1)
けれども其の時は無論それが別に派名とせられたのでも何でもなかつた。然るにナポレオン三世の亡びた千八百七十四年パリーのナダール畫堂で開いたマネー。モ子ー等一派の展覧會には、モネーの例にならつて印象といふ名をつけた畫が澤山に出て、「猫の印象」とか「土瓶の印象」とかいふ具合であつた。そこで或る批評家がこれを印象派の展覧會と呼んだ。是れが此の派の名の由來である。從つて彼等みづからは、始めのうちは單に獨立派と呼んでゐた。尚此の派の運動を最も早く認めて之れを推獎したのは文壇のゾラ(E.Zola)であつて、千八百六十六年に或る雜誌上で之れを論じ、爲めに讀者間に大反對を惹き起こしたといふ。
十一
此の派の主義の一つであつた繪のための繪といふことは、もと夫の藝術のための藝術(Art for art's sake)の思想の應用で、描圖に對して、色彩の塗抹を繪畫の主眼とするのであるから、之れを極端に持つて行けば、色彩のために色彩を排列すればそれでよいことになり、印象派の他の一面たる自然的立脚地と矛盾する恐がある。
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*註1:けれども其の時は
原本では文頭は前ページの文末より改行なしでつづいている。
*註2:千八百七十四年パリーのナダール畫堂
原本では「千八百七十一年」とあったが、第1回印象派展は1874年が正しいので改めた。ナポレオン3世の失脚・第2帝政の終焉も、正確には1870年の9月。なお「ナダール畫堂」というのは、写真家のナダール(Nadar/本名:ガスパール=フェリックス・トゥールナション Gaspard-Felix Tournachon/1820年〜1910年)のスタジオのこと。
*註3:畫堂・畫が澤山・繪畫
「畫」の俗字体(一説に本字とも)。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/ga_kaku.jpg
*註4:モ子ー等一派
「子」は干支の「子丑寅……」の「子」。
*註5:尚
「尚」の旧字体。「ナオガシラ」は「小」。
*註6:運動
「運」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。
*註7:認めて
「認」の正字体。
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*註8:文壇
「文」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/bun_aya.jpg
*註9:讀者
「者」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/mono.jpg
*註10:色彩
「彩」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/sai_irodori.jpg
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■抱月『近代文藝之研究』を註記なしに通しで読みたいかたは、こちらをどうぞ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/kbk_tobira.html
■このテキストの原本は国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」収録の「近代文芸之研究 / 島村抱月(滝太郎)著 早稲田大学出版部, 明42.6」の画像データに依っています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871630/1
なんでやねん・そっちかい・歴史やろーこれ・そうなん
知らんもう・はいはい。1人漫才でした・メモして。みようじゃーまた