母のあまやかし
- カテゴリ:日記
- 2010/08/23 19:32:43
幼すぎて何歳だったか記憶はさだかでないが、
たぶん4、5歳の頃だと思う。
ボクは、とにかく歯医者が、大嫌いだった。
(まぁ、好きな人はいないと思うが。)
キーという音を立て、歯の神経に触れたときの過去の痛みが、
妄想に妄想を重ねボクの心をその恐怖が完全に支配していたのだ。
しかし、甘いものが、好きなボクは、虫歯がひどかった。
痛い、痛いと、うったえていながら、
歯医者に連れて行くとなると、わんわん泣き叫ぶのである。
ホント、自分のことながら、どうしようもないガキである。
自業自得さ、はぁ、はぁ、はぁ、で、ある。
ところが、母がとる行動が、びっくり仰天なのだ。
病院前で、泣き叫ぶボクに、
「歯医者いったら、あめちゃん、あげるから。」
歯医者をいやがる虫歯の子供を、虫歯の諸悪の根源である、
あめ玉でつろうという作戦なのである。
なんじゃ、そりゃ。
アホなボクは、その言葉に、ひくひくしながら、
「ほんま?。」と、泣きやむ。さらにこのアホは調子に乗り。
「行く前に、1個ほしい。」と、甘える。
救いようのないアホである。
「ほんましょうがないなぁ、1個だけやで。あー。」
おいおいおい、なにしてんねん、と、
今のボクなら、おもいっきりつこんでいるところである。
せめてそこは母親なら、終わってからと子供を抑制させる
ところではないのか。
そして、「あー。」と、ボクは、直立不動で口を開け、
母にあめ玉を口に入れてもらうのである。
まさに、これがホントのThe!甘やかしだ。
これが、ボクの小さな頃の母の記憶である。
それ以前も、それ以降も、忙しい縫製の仕事をしていた母との
思い出はない。小学生になってからも、運動会も、参観日も、
忙しくて、一度も来ることはなかった。
子供に接することがなかった母のこの行動は、
仕方なかったのだろう。
「あーして。」「あー。」は、
もしかすると、ボクが、母親に甘えることができた
たったひとつの記憶なのかもしれない。
この甘やかしのブログは、母のおもしろさに、コメントしていただいたことで触発され、
調子にのって、続けて書いてしまった経緯があります。あわせてコメントしていただいて、
感激です。
人間の記憶は、素敵なものを残す機能が、あるとききます。
ボクも、仕事でかまってくれなかったことで寂しいと思った母の記憶は、ある意味ないに等しく、
むしろ、このように、数回しかなかった素敵な思い出を残してるんですね。
きっと、ぺぐぺぐさんのお子さんは、素敵な記憶を、ボクなんかより
いっぱい残していくんだと思いますよ。
のブログですね^^
すごく素敵で色々考えさせられますね^^
私の息子がいずれ母の記憶としてどんな事を
思い出してくれるのかちょっと不安です。