終戦記念日
- カテゴリ:人生
- 2010/08/15 23:54:25
終戦時、母方の祖父がどこにいたかと言うと、
平壌、
30代後半だったかな?今も存在する会社の平壌支社にいた。
大学は出てたし一応エリートだったろう。
平壌での暮らしはそりゃー豊かだったらしい。
でも、「日本が負けた」と聞いて慌てて 役所に聞きにいったら
そこはもうもぬけの空になっていた。そうだ
敗戦のどさくさで会社も事前通告なしで解雇。
そして 民間人なのに臨時に出来た朝鮮人の警察組織みたいなものに拘束されて1か月ほど臭い飯を食わされる+厳しい取り調べ。
終戦の翌年になって やっと近所の日本人たちと団体で引き上げ(逃亡)、38度線を越えるまでの経路は友達だった朝鮮人に聞いたそうだ。
ばーちゃんの高い着物とか全部置いてくる。
日本にたどり着くまでに、
流れ弾に当たって死ぬ人がいたり、
病人をどうするか相談したり(死なせる前に死んでしまったらしい)、
妻子を置いて先に逃げてしまう男がいたり、
断片的にしか聞いてないが かなり醜いことがあったらしい。
でも、いろんな引き上げの話を聞くと まだましかもしれない。
そもそも帰ってこれないところにいた日本人もたくさんいた。
終戦記念日は 区切り、でしかない
書いておられますね。
彼女は日本の家に辿りつくと、家の人から浮浪者のように思われ
最初は向こうに行ってくれと言われたほど、ボロボロだったようです。
生きて三人の幼子を連れ帰った奇跡の母の物語。
そこに語られる痛ましい実話。
若い頃読んで、今、また目を通すと、もっと感慨がありました。
ところでワタシは「臭い飯」を食べたことあるけど(ヲイヲイ)、
実際は臭くなかったです、ははは。
冗談ですよ、冗談、ウフフ。
子供の頃から何度も当時の話を聞いたよ。
ちなみに8月15日を終戦記念日にしてるのは日本と韓国(正確には意味合いがちと違うのだが)くらいらしい。
アメリカは9月2日だってよ。
戦争の話は一度も耳にしません
でした。。。
戦争という名のもと
人と人の殺し合い、奪い合い
競うこととはかけ離れたもので
起こしてはいけないことですね。。。
かつての日本ではこんなことがあったんだ,
と思い出すきっかけが毎年あることは,
僕もとても大事だと思います。
こんな話を聞くと、やっぱり戦争は絶対にダメだね。
とても悲しい気持ちになる。
当時の若いみんなが、やりたくもない戦争に参加したのは、家族や恋人を守るため。
そんな悲しい手紙とかが残ってるんだよね。
10代20代の人が命を懸けて守った子孫が自分たちな訳だし、ホントは中途半端にいきたくないよね~。
と、思いつつも駄目な自分に・・・アディオス;;
だれも知らないことになっちゃう。
らてしあさんが書かれた内容からでも、その苦労が忍ばれます。
終戦記念日は区切でしかないと言う、らてぃあさんの意見には私も賛成です。
下にかかれたあやめさんのコメントのように、このような体験談が聞けるのは、
本当に貴重だと思います。
戦争を煽るだけ煽って、自分達は安全な所にいて、末端の兵士には玉砕を命令したり…
いつの時代も、またシチュエーションが変わっても、そういう類の人間は常にいるものです。(-_-)
それにしても、身内からそういう話をじかに聞けるというのは貴重なことでしたよね。