勉強が隠す熱中、としてのstudium
- カテゴリ:勉強
- 2009/02/24 17:43:23
勉強ねえ
子供の頃は学校のお勉強はキライだったけど、
趣味や熱中しているジャンルは、人一倍、勉強していたかも♪
☆
小学校3~4年生の頃、ある日、突然、
宇宙の果てと、時間の果てのことがすっごく気になったんです。
宇宙に果てがあるとしたら、その外はナンだろう?
外があるなら、それはまだ宇宙だもんね。
だからって、果てがないものなんて考えられない!
時間もそう。モノゴトには初めも終わりもある。
では時間の始まりや終わりは? 始まりや終わりがあるなら、その前や後は何?
そしてそんな無限の時間の中の、ホンの瞬間に、
この<私>が生まれ、そして無くなる。 その前と後には、無限の時がある…
そこまで考えてしまったら、怖くて怖くて、3日くらい布団の中で泣いちゃった❢
学校で、理科の得意な友だちに言っても誰もその怖さを分ってくれないし;
☆ ☆
その後、天文学や宇宙物理学の本を読んでも、答えは無かった。
それは、科学に答えられる問題じゃなかった。
科学という見方は、時間や空間を前提にした上で成り立っているのだから、
その前提=足場自体は、見ることも触ることもできないのですね。
そうした常識の前提を、どこまでも問う、という学を探したら、それが哲学でした。
そして子どもの時、真剣に考えた問題が、
哲学の根本問題だったということを知った時は嬉しかったですね~。
しかもこの問いには、今も誰も解決を与えていないことも分った。
そのうちに、そうした怖ろしい謎は、
日々のあらゆるところに潜んでいることも、分ってきたよ。
☆ ☆ ☆
勉強という言葉の英語studyは、
ラテン語で「熱中」を意味するstudium に由来します。
単語や年号を詰め込まされる受験お勉強なんかとは全く違う、
謎を夢中に追求すること、としてのストゥディウム。
それは、間違いなく、大好きです❤
ブックオフオンラインはね詩蘭も去年の暮くらいから使うようになったばかりだけど、
入荷案内登録しておくと、
え~!こんなの入るんだ~!こんなに安く!っていうの、けっこうありましたw
よさそう
ありがとくま
無理に買ったりせずともよいよ~(^^; ウチに印税入るワケじゃないしw
近頃は詩蘭は本、Amazonやブックオフ・オンラインで買っちゃう方が多いです。
特にブックオフは古書でも合計金額が¥1500以上だと、送料もタダになるんで…
(Amazonだと、新刊は¥1500以上送料タダだけど、古書は一冊づつ送料¥340も取られちゃう)
入荷案内登録しておくとメールもらえるし、便利なんだ。
小説や新書や文庫とか回転が速いヤツは、けっこうすぐに入るんだよ♡
Amazonは、みんなのレビューが面白くて、丸ごと信用はできないけど、
ふーん、世間にはこういう感想もつ人いるんだ~って参考になるし♪
もう とっくに。。。
で、大学祭の時あるグループが「UFOは存在するか」というテーマでドキュメント撮っていて
その教授は
「存在するという人には存在し、存在しないという人には存在しません」
と答えられてました
なんでこんなことだけ覚えているんだろう
今日大きな本屋さんで哲学のとこ見てきたけど はーー無駄かも。。
あはは…チョーコさんが読んだのも名著だから買いなおさなくてもいいけどw
まあ、分りやすさでは『…哲学対話』の方がずっと分りやすいです。
『…哲学対話』の方は、ほとんど日常的な話題を哲学的に考えるというものです。
他方、カントやデカルトやウィトゲンシュタインなどの「哲学」的問題を問いながらの哲学導入ということだと、
もう一匹の哲学猫インサイトくんが案内してくれる『翔太と猫のインサイトの夏休み』というのがスゴイ。
哲学概論・入門の最高傑作です。 文庫で新装再刊されて読みやすくなってるし。
逆さピーナッツみたいな哲学の先生って、KKって教授、そんな感じだけど、彼じゃないだろうなあw
選択で哲学とったけど、哲学がなにか理解してなかった
ひょっとしたら美学もあったかもしれないけど、覚えていないから
学ばなかったということね
美学入門書みたいなのをさがして読めば、美学とは何か という事分かるかしら
哲学の教授のこと 友人が 逆さピーナツ って呼んでた事は覚えているんだけど。。。
新書の『<子ども>のための哲学』ですね。
ここの下の方で挙げたのは、『子どものための哲学対話』ってホトンド同じタイトルの別のもので、
そっちの方は、実際に子どもにも読める本で、ペネトレって哲学ネコがお話してくれるものなのだけど、
チョーコさんが読んだ方は、<子ども>のためって言っても、
言葉づかいは平明なのに論理は相当むずかしくて、
大学の教養どころか院生のゼミの演習にだって使えるレベルだと思います。
前半が、<この私>というものが、
どのように他の全てのモノゴトと絶対的に異質なものなのか、を分析していて、
後半は、それを踏まえて、
世の中で通用している 「道徳」 の隠された秘密を暴いて、
道徳に囚われない、ホントウの<良い生き方>の可能性を探っていた。
哲学という営みは、モノゴトの真相を突き詰めようとする知の形だけれど、
モノゴトの真相を暴くということは、
実は世のタメにならないことを見つけてしまうかもしれないわけですね。
たとえば、「なぜ人を殺してはいけないか」ということは、突き詰めたら何も根拠はない。
他人のため、という善意だって、それを「したくなる」のは、
<この私>にとってそれが心地好い=快だから、しないと嫌=不快だから、
つまり、利他的な態度というのも、利己的な感情に支えられているのだ、ということが、分っちゃう。
それを知っちゃうということは、日常の善意の感情にとっては「不愉快」なんだけれど、
それが真相なのだから、しかたない。
人類を滅ぼすキッカケになっちゃったとしても、真相を追究する、という点では、
永井哲学は、他のどんな哲学者より徹底しているので、
その意味ではアブナイ思考でしょうね。
しかし、時に不愉快な真相も暴かれちゃうけれど、
そうした、日常から高級知性までの先入観を壊した上で、<幸せの形>を考える、
そうした思考トレーニングには最高のものだと思います。
美学についてはw、近々ニコでもちょっと書いてみるかもw
電言板に書ききれなかったので・・
新書の「子供のための・・」のほうを読みました
確かに、子供の哲学 みたいなのは自分にもあった、そして適当に納得して消えたようです
未だに残っているのが 「何ゆえに生きるか」です
これは、年齢によって答えが変わっていってます
(別に哲学してると思っていたのではないですが )
哲学者はアランとシモーヌ・ウェイユが気に入って 読み物のように読んだだけで (土賢のエッセーと)
自分には物事の本質を見つめることができないし、
天然な私はいつも頭の中がカオスなようです
詩蘭さんは天然かどうかは、私にはわかりませんが、
明晰な文章なので頭の中はすっきりしておいでに感じます
美学 ってどういうもの聞きたいなあと思っていました
機会があればおねがいします くま
ご訪問、あんがと~
そっかあ、さとさんも、そーいうこと考えたんだ♪
そだよね~
「もしも…」 って仮定を受け入れてくれないオトナも、よくいたなあ。
オトナになる、って、利にならないコトは関わらないようになってしまう、という面もあるからね~
でも、「利」 という面から考えても、
日々の 「利」 にならなくとも、
この世に生まれて知ったり感じたりしてウレシイ❤というのは、
生にとっての掛け替えのない<利>だとは今も思う、
「大人」 になりきれないオトナです(^^;
『途中で割れちゃうのよ』
『 じゃ もし 絶対に割れない風船だったら?ロケットは?』
『 そんな風船は作れないし ロケットも燃料がいつかなくなるわよ』
『 もし もしも 作れたとして・・・』 と母を悩ましたことがあります。
ようするに どこまで宇宙は続くのか?? だったのですがーー
いまだって わからないくせに ちっとも追求しない。。。大人っていや(*´ェ` )(´ェ`*)ネー
あ、この日記のコメ、ヤバい方向にボコボコ増殖してしまってwww
マジに読まれて、オメメ花粉症よりメンドウなアレルギー起こされちゃったらドーしよ~(^^ゞ
今、目が花粉症で疲れて全てを読めないけど
ウフ なんか嬉しい事かいてある
なんか いいものみーつけたって気持ちです
後日読みに来ます
ヴァイオリン弾きの医者で哲学好きの同じ名の友だちがいたので、
ひょっとしてその子がニコにもコッソリ潜入したか?と思い、あの時はナンパさせてもらったのですw
トウマ族は哲学好きの一族なのかなw
知の始まりにある philosophia (φιλοσοφια)、
字義通りに訳せば "philos"=愛と"sophia"=知で、知への愛、を意味し、
その愛が知を駆り立てる、だからこそ、知の始まりなのですね。
(愛知県って、哲学県Philosophy Prefecture なんだ! 今、知ったw)
法学は、近代以前はほとんど哲学と絡み合っていた。
しかし、近代の始まりに位置する大哲学者ヘーゲルの 『法の哲学』序文にある言葉、
「ミネルヴァの梟は日暮れて飛び立つ」は、
ミネルヴァのフクロウが象徴する知は、常に現実が終わってから、その後を追うのみ、
という知の無力を語っていました。
しかし弁証法の皇帝ヘーゲルが、マジにそんな謙虚な謙遜するわけはない。
実はその言葉が潜めている毒は、
現実は、「現実として知られた時」には、すでに宵闇の気配に覆われている、
つまり、知は現実を後追いするかに見えて、現実をそれとして見出すものこそ知なのだ、
という知と現実の逆説的な結びつき(それが弁証法のコアでした)を、暗に告げる暗号でもあった。
世界という暗号を、明るみに持ち来たらす知は、
その知という明るさそれ自体のうちに、いつも闇の言葉も紡いでいる。
それゆえに、その謎を解きほぐそうとする、知の欲望としての知への愛が、沸き立つのでしょう。
(ますます勢いで、今度はちょっと呪文めいた文を、紡いでみたくなっちゃったw)
知の始まりって意味ですよね^^
一番好きな学問でしたw
哲学ってどんな分野でもちょこっと顔だしてるし。
法学部だったけど、文学部の授業ばっかり顔だしてましたw
でもほとんどが独学で体系だって勉強してないんですよねぇ・・・・・・・・・・
あはは…ニコ界ではあまりこういう話するつもりなかったんですけど、
コメントの流れで漏れ出してしまった (^^ゞ
ぴよさんも現象学とか読まれたんですね…
勢いで思いつきしゃべっちゃうとw
音楽美学って、美術や文学に比べて少ない気がするんです。
音楽本も、(教則本は措くとしても)CD名盤や演奏家論はすごく多いけれど、
音楽自体の美学的、哲学的考察って、あまりない。
現象学も美術論はメルロ=ポンティはじめたくさんありますけれどね。
どうしてかなあ、と考えるんですけど
美術の場合、印象派以後のモダニズムでは、制作自体の中に哲学的要素が不可欠になり、
作品論・表現論=美学的なものとなってしまった(良くも悪くも)。
文学もマラルメやプルースト以後、下で話したサイバーパンクSFなどまでそうした傾向があった。
音楽も、ストラヴィンスキー、シェーンベルク以後のモダニズムには同じ傾向があった。
けれども、美術や小説以上に、専門技術的複雑さがそれだけで自己回転しすぎてしまい、
音楽以外の領域と切れてしまったことがある
(でも個人的には、現代音楽の複雑さは、別の観点から評価しなおせると考えているのですけどね)。
もう一つには、「演奏」 というファクターが大きい。
演奏は、極端な場合、知的作業抜きで、スポーツのように身体訓練だけで成り立ってしまう面もある。
そして、鑑賞でも表現でも、一般的には演奏の面の方が(曲の美学より)、評価の大きな対象になる。
ポピュラー音楽でもそうですよね。カラオケのオカゲで、歌の平均的レベルはすごく上がった。
そこでは、直感的美学は省けないにしても、高度な知的捉え返しなどはなしでも済ませられる。
楽曲/演奏、それぞれの美学的な仕組みが、どのように絡み合っているのか、
そうしたことをクリアカットした理論って、まだ見たことないんです。
自分で考えてみたいのだけど、すぐに
和声学やら対位法やら楽器法の専門的議論のクモの巣が絡んでくるし…;;
あ、ますますヤバい話が漏れ出しちゃう…^^;
小さい頃、ただただ宇宙の広さに圧倒されはすれども
哲学的にそこまで考えたことは今までにもなかったかもしれません。
現象学どかいろいろヴィトゲンシュタインとかいろいろ読みましたが、
謎は謎を呼んでさらに深まっていく感じ。
未だにつかみきれず難しさに圧倒され、
そして自分の考えの浅はかさに打ちのめされる毎日です。
でも知ることはエネルギーがいるけれど楽しいですよね。
詩蘭さんはすごいな〜
studyの語源初めて知りました。
はい、よいお返事です♡ナデナデ
哲学苦手って心脳問題とか色々考えてるじゃん。
モロ繋がってるから、先入観をカッコに入れられれば、ぜんぜん平気だよ~
どっちも思考のキモは、論理と想像力だし。
茂木は永井をそうとう意識してるしね(クールにゃんこの永井の方は、問題にしてないみたいだけどw)
ギブスンのサイバー小説はね、レトリックが凝ってるし、ソレに応じた翻訳が超カッコイイのだけど、
過激なレトリックは少し根性入れて読まないと、筋が掴めないのだ。
その点、『夏への扉』や『子供のための哲学対話』は、レトリックは超明解だからね。
最近はやりたいだけじゃなくて実績になる物を現実的に選ぶ様になって、
やりたいだけの事はどこかで諦める様になってきた・・・。
冷めてる様でも諦めようとする事はちょっとした努力なのかも?
オイラ哲学は苦手なんだよなあ・・・入り口だけでも勉強した方がいいんだけど。。。
『夏への扉』と『子供のための哲学対話』、チェックしておきまつ。
ところで 「女の人はちゃんと」 ってのは外した方がよいと思うよ。
ゆのくんが何かしたとして 「男の人はちゃんと」 って言われたらヘンでしょうww
何しろ君自身が、男?え?って要素、イッパイだしょ~♪
性差なんて、文化的な檻に過ぎないんだから、楽しい面は活かしても、足枷は外せばいい。
それに、女の人がちゃんと倫理観持って…というのは幻想、ゲンソ~だろ~お。
車運転してると、他の車のこと考えずに車線変更したり、急ブレーキかけたりするのは、
女性ドライヴァーの方が圧倒的に多いし、電車で席に割り込むのもオバサンが圧倒的だし;;
逆に、お金にならなくても患者さんのこと真剣に支えてくれるオジイサン医者だっているし、
2ちゃんの板を燃やすことしか楽しみのないアホは男にも女にもいる。
善悪も他の性質も、傾向はあっても最終的には老若男女には関係なく、人それぞれだよね。
その上、下の方でも書いたけど、哲学は、しばしば道徳を破壊するんだよ。
道徳って日々の面倒を避けるための理屈で、
実は無根拠なのにそれが真実のように飾ってるだけのモノが多い。
モノゴトの根拠を探求する哲学は、道徳や伝統の嘘や幻想を暴いちゃうんです。
ただ習慣でそうしてるだけの道徳なんかに依存しない、そんな幸せのカタチ、
それをクエストするのが、哲学的に倫理を考えるってことになる。これも老若男女無関係だね。
努力は詩蘭も苦手です。オマエは自分の好きなことしかしないって子供の頃から言われてたw
好きなことでもレベルアップには努力が不可欠だけど、そのときは苦痛も快楽だよね。
ただ、好きなことがジワ~って未知の領域に広がったりする時、苦手なものとも付き合うことになる。
そのときは、好きなモノとのリンクするポイントを何か見つけ出せばOK。
ま、そうそうウマク行くとも限らないのは、身をもって何度も知りましたけどw♪
p.s.ギブスンは古くね~よ! たかだか20年前のだ。
『攻殻』や『AKIRA』のチョット前、ドラクエと同じ頃、シェイクスピアより400年も新しいんだぞ!
でもそれより先に、『夏への扉』や『子供のための哲学対話』読む方をオススメ♡
女の人はちゃんと倫理観持って考えてるから偉い。
オイラは悪い子だからマッドな事ばかり考えてしまうw
> 『攻殻』のモチーフも原型はギブスンだよ
ほえ~そうなのか。新しい物ばかりに興味を持ってしまうからどうも歴史には弱い(´Д`;)
オイラ、努力ってのがよく分からないんだよねえ。
好きになった物に関しては何やってても楽しいし自然と頑張っちゃうから辛いとか思わないし。
逆に嫌いな物はやれと言われても全然できない。
ただ最近ぬるま湯なのでこのままでいいものかどうか(つД`)
しかし、半年で基礎マスターしてアンチョコてすごひ。
詩蘭はできるお姉さんだったのかwww
夢のあるものほどご飯にならなかったりするよね・・・オイラもそろそろ現実を見・・・(ゲフッ
大昔の賢人が格闘した問題、その後も2千年以上も色々な人たちが色々な仕方で挑んだ、
その歴史=物語を『ソフィーの世界』は描いていましたね。
あの本自体は、自分ではその問題に挑んではいなかったけれど、
過去の哲学的格闘の痕跡が、美術館のように並んでいた。
ところで科学は、あれはあれで間違いなく多くのことを解明しているはずですよね。
だからこそ、このニコ世界のような電子世界もできたのだし、医療だって交通だって昔とは大違い。
ただ、「科学」という営みと、「哲学」や「芸術」という営みは、やっていることが違うのですね。
科学は物質の組成を数量的に、あくまで数量化できる面だけで捉え、そのことで広い応用価値を生む。
哲学は世界を数量的に捉えるのではなく、世界が「どのようにあるのか」を丸ごと把握する。
私とは、美とは、善とは、数とは、時間や空間とは、そもそも何なのか?って。
そして、そこにも発達はあるんですよ。
2千年前の哲学者の技では捉えられなかった事柄が、現代の言語学の技を使うことで理解できたり、
昔の賢人の解明が思い込みにすぎなかったことが明らかになったり、ということは無数にある。
しかし逆に、現代人特有の新しい思い込みや幻想も生まれ、だから何度もやり直さなくちゃならない。
その時代ごとに出現する問題もあるしね。
脳死やハイテクと人間の関係なんて、過去には問題になりようもなかったし、ね。
だから、関係なくは無いんだけど、目的が違うし、そのための手段も違う。
科学するには数学の教養が不可欠だけど、哲学は誰でもできるんだよ。
むろん少し入り込むと、どんどん高度な技も出てくるけど、それはゲームの面クリと一緒。
ただ、初めの棍棒でも、高度な技でも、同じ問題を扱える、というのがステキです。
もし機会があったら、下の方で出した永井さんの『子どものための哲学対話』って読んでみて。
はるかな昔にも未だに解けない問題を
考え続けている人たちがいたって思うと、
人間の思考って、科学の発達や学問とは
あまり関係ないんだなぁ~って思えます。
でw、だからぁ、下でも挙げた小谷ネーサンとか、こういう話好きな人は少なくないんだよ~ん
TVに良く出る精神科医の香山リカちゃんだって、かしーのさんと下で話した永井さんのこと書いてるし、
翻訳されてる外人の研究者やサイバー系アーティストもいっぱいいるのよ~
『攻殻』のモチーフも原型はギブスンだよ。
で、その『攻殻』の素子ちゃんについては、永井さんの『マンガは哲学する』って本で哲学的分析されてる。
映画やアニメになった『魍魎の箱』の原作者ミステリー作家の京極夏彦は、
下で話してるような哲学的背景をベースに、すっごい緻密な小説書いてるしね。
詩蘭パパ&ママは、どっちも絵は巧いけど、フツウの人だよん。
才能ってもね、世の中的に売れる才能じゃないから、あんまり持っても意味ないかもw
才能は、あるんだよね~wwwでも、それを世の中に合わせる才能はゼロに等しいからw 悲しいわあ
あ、でもね、世間でよく言う、努力ってのは、半分はホントウだと思う。
詩蘭は、気になった分野が見つかった時など、半年で基礎マスターしてやるとか決めて、
がぁ~って自分用アンチョコ作る。
アンチョコを作る、ってとこがミソで、それが出来た時には、人に説明できるレベルになるわけよ~。
フルートは19歳の時、『牧神の午後』って曲聴いて、超神秘的❢絶対、自分で吹きたい❢って思って、
入門教則本2週間で無理矢理やっつけて、半年後には吹けたってか無理矢理、吹いたw♡
そういう風にやると、だいたいのことは何とかなりる・・・かもよw
もしかして両親も美術や音楽は得意だったりする?
う”~オイラに一つでいいから才能を分けてくれw
> ギブスン、サイバー・パンクの元祖
し、知らない(汗。文学は苦手なのだ(´Д`;)
サイバーパンクは定番だけど攻殻機動隊からかな。。。最初の映画の方ね。
あの年齢(歳は秘密よ!)なりにすごい影響受けたのよね・・・。
Serial Experiments Lainも心のアニメw
>『ニュー・ロマンサー』『カウント・ゼロ』『モナリザ・オーヴァードライヴ』
はチェックしておくよ~。。。時間がある時に読みたい(`・ω・´)
オーセンティックなウィトゲンシュタイン学者の一部には、ナガイヒトシュタインの増殖は煙たいようですけどw
ナガイ哲学は強靭なものだけれど、クセも強いので、ワクチン併用は必須でしょうね。
もっとも、そうしたワクチン類にも、だいたいの場合、別のワクチンが必要で、
何種類ものワクチンで合併症を起こしてる、なんてこともよくあるw
まあどのみち、哲学はもちろんのこと、人間の生とは、ヘンテコな病=変態、である他にないのだから、
楽しいヘンなコトを探り出したり、ヘンな人たちと軽重問わず色々ヘンなこと語り合いたい、と思います♡
永井均さんの新書を読んだというわけでございます。
ウィトゲンシュタイン…世界の限界は私の(言語の)限界…ですね。
カッコの中を、論理とすれば、自然科学や論理実証主義へ、
詩的言語とすれば、フランス系のポストモダン哲学になるのだけど、
どちらの視点からも、この<私>は消去される(その意義も大きいとしても)。
それを裏返したのが、下にあるマーチさんへのコメントで紹介した本の著者永井ヒトシだった。
彼の哲学を通して、ウィトゲンシュタインの面白さは分りました。
絵はデッサンも油絵もケッコウ本格にやったし(師匠ダ・ヴィンチ先生だもんwwwセンセの模写もしたっす)
音楽はフルートでバッハやモーツァルトからドビュッシーなんかまで吹くし(人には聞かせないけどww)
詩や小説は…これは友だちに天才がいたのでハタチで止めたw
んで、むずかしい芸術系の論文とかは書いちゃうのだwww
ハインラインはアーサー・クラークと並ぶSFの古典だよ。
『夏への扉』 これはネコ衛門に教えてもらったのだけど、サイコ~❢ ネコ好きの人も絶対に読んで❢
すっごい読みやすいし、グイグイ引き込まれるし、ニャンコが超カワイイし、感動まちがいなし❤❤❤
ストーリーの組み立てでは、タイム・パラドックスSFの代表よん。
ギブスン、サイバー・パンクの元祖だぞい(ゆのたんは、どの道からサイバーに来たのかな?)
『ニュー・ロマンサー』『カウント・ゼロ』『モナリザ・オーヴァードライヴ』の3部作は、
サイバーの大古典というだけじゃなく20世紀文学の大傑作だと思うっす。
(初め読みづらいけど、慣れると凄さが溢れてくる。何度も読み直したよ)
そうそう、サイバーは女の人のファンも多い。
エヴァ論でも知られる小谷真理さんは第一人者だし、
20世紀末の文化論ではサーバー・フェミニズムというのは大きな勢力だったんだよ。
オイラもSFは大好きだわ。
サイバーパンクが特に(←趣味はちゃんとオトコの子よ!
オイラは死ぬ前に一度は宇宙旅行に行ってみたいわ・・・月は諦め気味(´Д`;)
ハインライン、ウィリアム・ギブスン・・・知らなにゃい・・・活字は苦手(ノД`)
素人とか子供の疑問を、そのままどこまでも考えちゃうことこそ、哲学のようですよ。
「…なんて思いますが」 で止めないで、そのまま、色々考えちゃう。
あの大哲学者カントの哲学って、この問題が大きな中心なんです。
『子どものための哲学対話』という本、すごく面白い。
子供のため、と言っても、大人こそ読むべき本だと思う。
機会があったら読んでみてください。
異星人、絶対、いると思うよ~。
てか、詩蘭がよく言われたのだったww
空想に耽るって、授業中とか寝る前とかいいよね~。
リアルワールドが、パラレルになってくる。
ニコって、活きている空想世界だね。
ひらりんも、半分ファンタジーで半分リアルだもん♡
自分も時々思う事が有りますが、
宇宙は一体全体どこまで有るのだろうか?とか、
どこかで壁にぶつかるのだろか?なんて思いますが、
素人のあさはかな疑問ですね (^_^;)
「この宇宙の中には、太陽の様な星がいくつもあり、必ず地球のように
生命を育む星が存在するでしょう。」と言った先生の言葉を、今も覚えています。
そうして、私は空想に耽る子供でした。今もかなw
詩蘭も、とっても 「不埒なオトナ」 です♪ 子供の頃から 「常識ヤブリ」 の名人だったしww
生徒会でも、どうやって校則の裏をかいて生徒に都合のよい規則を作るか、とか考えていたw
道徳なんかも、その根拠を突き詰めると、
「なぜ人を殺してはいけないのか?」 ということだって(この題のステキな本もあります)
結局は、互いに迷惑かからないように規制する、
ということで、人間性とか隣人愛ってそれをカモフラージュする美辞麗句にすぎないこと、分っちゃうし❢
でも、根拠なんか無いということを一旦、分った上で、
その上で、根拠なんか無いからこそ、互いの命や生き方や趣味を大切にしたい。
常識や良識というモノサシに合ってるから、なんてことじゃなく、
そんなもんと合わなくたって、不埒だってw
どうしてその人にとってソレが大切なコトなのか、その都度、考えて付き合うことが大事だと、
今では思ってます。
私の場合は特に歴史に興味が沸いたなー(遠い目)
あとはミッションスクールだったので、哲学や宗教の時間も結構好きでした♡
それなのにこんなに不埒なオトナになっちゃうだなんて……
熱中するかー、ずっとそういう気持ちや衝動、忘れたくないな♪
うん❢ ニコでみんなの日記読んだりしてると、すごくその思い、強くする。
今日もネコちゃんやマーカーリちゃんの日記読んで、とても・・・
日記に書いた子どもの頃には、それでも人生なんて永遠のように長そうに思えたけど、
大人になるにつれ、また身近な人たちが亡くなるのにも接したりするうち、
その儚さが凄くリアルになってくる。
でも、マーカーリちゃんの日記で書いたけど、
この世があることや生まれたことが奇跡なら、あの世がある、って奇跡だってあっても問題ないって、
理論の精度が高くなってきたからこそ、思えたりもするw
その前と後には無限のときがあるとしても
<私>にとっては<私>のオワリが世界のオワリなんだよねー
みんな<私>でいられる短い この時間を大切にしてほしいと思うな~
そして そんな短い一瞬のなかで
こんなにステキなみなさんに出会えたことを感謝したいと思います=^ω^=
ヘタの横好きってか、けっこう巧いww、んですけどね。
ベンキョ~って、歌や絵やスポーツと一緒で、
技を使うのが楽しくなると、熱中する。
そうそう、ゲームだよね・・・ゴールが、どこまでも遠くに逃げるけどw
宇宙少女wだったわけではないんだけどねw
絵を描くことや音楽も好きだったし、高校生の頃は小説や詩もたくさん読んだり書いたりしたし…。
でも、子供の頃は、ゆのくんのように、月や宇宙旅行したかったね。ああ、潜水艦も好きでしたw
文学と科学、両方が合わさってるSF は、読み出すの遅くてオトナになってからでしたけど、
ハインラインやウィリアム・ギブスン、大好きです。知ってる?
オイラも小さい頃から宇宙が大好きだったなぁ~
何かのアンケートで「行きたい場所は?」ってあるといつも月って書いてるよ(´・ω・`)
身をおける、というかね~、気がついちゃうと気になってダメ、って性質だから、
先生や親から、 これが 「常識」 です、とか言われちゃうと、
「なんで?」って食いつくメンドウな子だったw
逆に言うと、謎が好きなだけ、とも言えるw
そんなトコ、ツッコムな~、ってとこ、どして~って考えちゃうんだよね~
だから、神様のことも、信じるよりその謎を考えちゃうから、
信心はゼロになっちゃうんで宗教的にはならないんですw
でも、面白いよぉ、テツガク的な思考ってwww
ぽん。と身をおけるのは詩蘭さんらしいなぁと感心してしまいました。
哲学やもしくは宗教や…そんな次元の問題だねー。
>ラテン語で「熱中」を意味するstudium に由来します。
これは初耳!トリビア的へーへー!ボタン連打です。
気になったものは、勉強とか関係なく、熱中できるものねー(*´▽`)