現実感
- カテゴリ:人生
- 2010/07/28 23:57:08
その確信はどこにあるのだろう?
そう思った瞬間から、幾度の昼と夜が訪れ、現在へと至れり。
時間は相対的指標、その感覚を喚起させる要素。
現実感なる感覚もまた、自身と他者の間に広がる相対的パースペクティブなのではないか?
そう思える今宵。
いや、幾度か喚起された思考。
思考は現実か?
それとも妄想か?
たぶんすべて妄想なのだ。
しかし、妄想の中の因子、他者と呼べる相対的指標における複数の共通項から見出されるある種の法則性/共通性がその‘妄想’に法と秩序を与え、現実を生成する。
妄想は知識と思考によって認識されるのだ。
おそらく感性や悟性なるものがそれに相当するのだろう。
昼と夜は過ぎる。
季節は巡り、月日は過ぎ去る。
それは、時間。
天体の周期性から訪れる相対的感覚。
おまえは「狂っている」と囁きが聞こえる。
昼も夜も関係ない。
眠りも食欲も性欲もくだらない。
この肉体という呪縛が酷く煩わしく思える。
何一つ不足は無いはずなのに、満足には至らない歯がゆさ。
時間は焦燥を喚起させ、苛ませる。
明日は? 明後日は? 来週は? と。
不変的なほど変化に乏しい日々は、時間さえも封じ込めてしまう。
その「繰り返し」は、うんざりする様な倦怠感と閉塞感を彷彿させる。
変化を求めているのだろうか?
だが、これは、能動的でなく受動的な衝動。
嫌悪。
いつまで這いつくばっているつもりだ?
と、自ら見下しながらも、何もしないで/できないでいる、この煩わしさ。
はらわたが煮えくりかえる。
怒り。
憤怒。
破壊的衝動。
殺意。
そうだ。
変化を求めている。
何かを、壊したくて/殺したくて、たまらない気持はそこからやってくるの。
これは、現実か?
それとも、妄想か?
まともじゃないorまとも。
いかれてる。くれいじぃだ。
そう思いながら、それを奨励している。
腹を抱えて笑おうか/膝を抱えて泣き叫ぼうか。
待っていても、何も変わらない。
それがわかっていながらも、それがわかっていても、どうにもできないでいる。
どうするべきか、
なにをするべきか、
その仕方も、その方法も、わかっているはずなのに、何一つわからない。
現実。
恐るべし、
妄想。
一体何を手に入れれば、今自分がここにいるという揺ぎ無い確信を得られるのでしょう。
『自作小説倶楽部』よりお知らせです。
やぎさんが入会されました。よろしくお願いします。
日々の何にもない暮らしの中に、色を与えられたらいいなぁと思ってます^^
全然検討はずれのコメントだったらごめんなさい(>_<)