理論武装
- カテゴリ:日記
- 2010/07/23 07:09:41
マルクス経済学の自称大家とすれ違いました。
普段は会釈程度で行き過ぎるのですが、今回は長い立ち話が始まりました。
内容は、株主資本主義について、、、
私が株式に興味があることは、周囲も知っています。
しかし、趣味程度だと思っているようです。
昼間の収入を凌ぐ運用益を得ているとは、誰も知りません。
恐らく、今年も相応の利益を得るでしょう。
そこで気になるのが、「私は正しいことをしているのか?」です。
株主とは、あまねく人の豊かさを追求する過程の『審判』のようなものだと思っています。
クレオパトラの時代、お湯で顔を洗うため数十人の奴隷が24時間体制で準備をしていました。
今、日本では蛇口をひねるとお湯は出ます。
これが、積み上げられた豊かさの結果です。
小さな豊かさを積み重ねるには、効率性が必要です。
株主は、自らリスクを取って効率性を『審判』します。
その『審判』が正しいかどうかは、その株主が生き残るかどうか
つまり、利益を出し続けているかどうかによります。
利益を得て、株主であり続けることが、正しい『審判』を下し続けている証拠となるのです。
また、株主には誰でもなれます。
王侯貴族やブルジョア、指導層でなくても、『審判』に加われるということです。
『審判』は、「買う・売る・買わない・売らない」で行われ、
その結果は、株価として、日々刻々、周知されます。
これが、おおよその株主資本主義の考え方で、19世紀に確立されました。
しかし、現在でも、株でもうけることと、博打に勝つことは同義で話されます。
株主資本主義は、一般に受け入れられていません。
商業行為も、13世紀にトマス・アクィナスによって、神の祝福の対象であると解明されるまで
実に1300年間、農業や狩猟、鍛冶屋と区別され、蔑まされていました。
『ベニスの商人』のシャイロックがよい例です。
そこで、自称大家に聞いたことは、
株主資本主義を体系的に解明した者はいるのか、です。
帰ってきた答えは、
「経済思想史の分野では、株主資本主義は常識だよ。
神学者が株主資本主義に関心を持つのは、まだ先だろうねぇ。」
株主資本主義が確立されて200年あまり、
あと1000年は、肩身の狭い思いをしなくてはならないようです。
では、また。。
今、検証期間に入ってたはずですよ。^^
本を読みましたが、
「リーマン予想」が解決されたんですか!!
それは知らなかったです
株のゲームなんて、あるんですか~~!@@!
ちょっと、驚きです。。
リスクを冒すのが、駄目なら、やらない方がいいと思うよ。
銀行預金も郵便貯金もタンス預金も、広い意味での資産運用だけどね。。^^
「π」は観てませんが、リアルでの似たような話が、
リーマン予想ですよね。。^^
(こっちを基にして、あの映画って作られたのかな?)
素数の世界と、宇宙空間の偶然の羅列が繋がるなんて、感動ものです!
最近、リーマン予想も解決されたそうですから、
宇宙を支配する、根本原理に一歩近づいたのかも知れませんね。。^^
危険を冒したくない度胸がないワタシwww
兄が株をやっていますが、私にはわかりずらくて・・・
数年前「π」という作品映画を兄と見ました(ご存じですか)
数学?株?の話なんですが、
私はこんな顔をしてみていました(??)(-_-;)
責任を果たさず、文句だけ言うのは楽ですからね。。^^
その結果、日本国内での外国人持ち株比率が高くなり、日本と関係の薄い外的要因で、株価が乱高下し、国内経済が振り回されているんでしょうけどね。
別に、難しく考えなくっても、この会社が人類の進歩に役立つ行いを行ってるかどうかだけを考えて、賛同できるところに、自分の責任の範囲内で、投票(株主として参加)するんだよ。その投票が正しければ、会社も儲かり、結果、株主も投下資金回収後、新たに投資できる票数(株数)が増えるってことだよ。また、逆なら売ればいいんだよ。。^^
僕は、選挙と一緒と思っています。
株主資本主義の考えでは、非上場の会社は、制限された株主の支配下にあると考えます。
株主門戸を広くするか否かは、それぞれの会社の判断を任されますが、競争社会の中で富を積み上げるには、株主門戸を開かない方が意思決定がスムーズにされるという決定も、一つの株主の『審判』です。
この場合、株主による『審判』の正誤は、タイムリーな株価でなく、通期での会社の利益によって判断されます。
博打と同義っていうのは変な感じがします^^;なぜ同義でくくれるのかサッパリ理解が追いつきませんwww
株をやってみたいという思いはあれど、株主とか株とかトレードとかイマイチよくわからない><