なぜ、人間は不平等なのだろう
- カテゴリ:日記
- 2010/07/23 05:09:32
生まれながらにして、人は裕福な家庭に生まれたり、貧困、戦場などで生まれた子供たちの悲惨さ、生まれる環境を選べない。
裕福な家庭に生まれても、身体障害者として、不治の病を持って生を受ける人もいる。
貧困家庭に生まれても、温かい家族の存在があり、幸福になっている人々も多い。
今、私の考える人という生き物は、どうしようもなく無慈悲で鬼畜のような家族を持つ人々と、愛情溢れた家族をもつ人々の存在。なぜこんなにも違った環境と、性格を持つ人々がはっきりと他人の目からみても相違する家族像を、社会で認識させられるのであろう。
人は生を受けた瞬間、いやそれ以前に、見えざるレールが敷かれているとしか思えない。
今現在、人間を馬鹿にし、いじめがあったり、紛争・戦争という忌まわしい行為が行われている。
平和そうなこの国にも、社会的弱者、公害で未だに苦しむ人々の存在、弱き幼児や子供への虐待事件。挙句の果てに殺害。
誰が見ても、報道聞いてもおかしいよね。
不平等。我が子は自分の所有物ではない。それを理解していて繰り返される、愚。
時代が変わろうと、大人は子供の見本にならねばならないと思う。
宗教の違い?民族の違い?我が子の差別化?敷かれているレールは果たして変えることは出来ないのだろうか。
子供は環境で育つ。その子供の生まれもった性格もあるだろうが、手本となる大人であれば、その子供も平等な社会を目指すであろう。
自分自身が、確固たる信念と良心に忠実であれば。
そんな、自分でありたい。そして満足であったと思える生涯を終えたい。
未来から来た子供たち。平等なより良い社会を築いて欲しいと願うばかりである。