チベットにて4
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2010/07/11 15:35:19
今日は楚布寺に行く日だ。
ここはダライ・ラマ、パンチョン・ラマに次ぐカルマパという活仏のいる寺だという。
なんでも去年中国にも転生承認された、子供ラマがいるのだそうだ。
(チベットの活仏は死んでも転生するといわれていて、カルマパは17代も続いているのだそうだ。ちなみにダライ・ラマの兄弟もどこかの小さな寺の活仏だったはず)
バスででこぼこ道を走ること2時間半、ようやく着く。
ここは巡礼者の多い寺だった。
熱心な信者は寺の端にテントを立て、そこに何日もテント生活をしつつ巡礼を繰り返している。
寺の周りの巡礼の道を歩く途中、何人ものチベット人が大家族で、また一人でマニ車や灯明をかざして歩いているのを見た。
寺院の中の部屋の一つ一つも何が気が満ちているようで、見ていて動悸がしてくる。
ここはポタラ宮などと違い、活きている寺という気がする。
一通り歩いたら、最初の建物に戻っていた。
人が大勢集まっている。
1時から何かあるらしい。
わけがわからないながらも並んで待っていると、1時ちょうどに楽器の音が鳴り始め、2階に上れるようになった。
と言っても押し合いへしあいで、山手線のラッシュもかくやという感じである。
やっとのことで上ると、そこは謁見の間であった。
カルマパは玉座の上に座っている。
我々は一人ずつカルマパ17世の前に進み、棒の先に房の付いた、ちょっと見カラフルなはたきみたいなもので頭に触ってもらう。
祝福を受けるわけだ。
みな玉座に進む前にカタという白い布を捧げるのだが、私は持っていないのでいくばくかの金を置いて進む。
雰囲気に飲まれたのだと言わば言え。
信者でない私もラマの前で頭を下げてずっしりとした絹の感触を頭に受けた時、何か力と湧き上がる幸せを感じた。
部屋から出る時赤い毛糸をもらったが、それを首につけるとき巡礼者が涙を流すのもわかる気がする。
まあ同行のS田氏に言わせると、ラマも「生意気そうなガキ」になるのだが。
それから集合の3時までは建物の前でのんびり過ごした。
建物の裏で弁当を広げている家族がいた。
経の木版印刷をしているところもあった。
チベットの仏教関係の印刷は、木版が主流なのだそうだ。
岩の多い山で耕作できるところも少なく、お布施と印刷では生活も苦しいのか、ガンデン寺より僧の数は少ない。
だがカルマパを守っているという使命感からか、僧は本当に熱心で、疑問にも丁寧に説明してくれる。
宿に着いたのは5時半過ぎ。
外人4人と日本人1人が同室になっていた。
男4人と女1人。
日本人の男がうるさくて、早々に部屋を出る。
八角街を流し、適当な店で夕食にしたが、好物のピータン豆腐が「何だ、これ?」という味。
高い割りにおいしくない。
宿に戻って口直し。
ここのヨーグルトとティーだけはとてもおいしい。
安心な味なのだ。
今日の収穫はカルマパ17世のしおり。
彼がどんな風に見出されてここに来たかとか、彼の日常生活などが写真とともに描かれていて、まるでどこかのアイドル写真集なのだ。
ナイス。
15元でも惜しくないぞ。
写真
http://tabj.web.fc2.com/shasin/kapuji.html
とここまでが当時の日記。
今、楚布寺を検索しても、あまりヒットしないだろう。
現在、この寺は観光ルートから外れている。
なぜならカルマパ17世はすでにここにはいないからだ。
彼は2000年にインドに亡命し、現在はダライ・ラマの元にいる。
中国政府は彼を承認することで、ダライ・ラマでなく中国寄りのラマを通じてのチベット支配を考えていたらしい。
だからチベット3日遊にもこの場所が選ばれ、またアイドル写真集のような彼のしおりができていたのだろうと思う。
関連した記事
http://www.tibethouse.jp/news_release/2000/Karmapa/Karmapa_news55.ht
本当にチベットの独立を応援したいです。
政治と宗教が絡むとろくなことにならないというのはキリスト教も十字軍で証明していますし、日本でもいくらでも例がありますね。
チベットも中国に占領される直前は文化が成熟しきって役人の腐敗が激しく、国内で派閥抗争ばかりしていたから侵略を許してしまったといいます。まるでどこかの国のような話ですが・・・。
ただ、チベット人が信仰深いのは、あの厳しい土地が神の存在を信じさせるのではないかなと思います。
ラサでさえ野菜も果物もほとんどなく、ビタミン補給のために日に何杯ものバター茶を飲むような土地では今日1日無事に過ごせたことを神に感謝し、明日の無事を神に祈らなければどんどん心がすさんでしまうから、あんなに宗教が発達したのではないかな、と。
そして普段我慢に我慢を重ねている分、華やかな宗教行事にカタルシスを感じるのではないでしょうか。
なんて、半可通ぶってすみません^^;
イチゴイチエさん
私も今のチベットと中国のあり方には残念な気持ちでいっぱいです。
特に信仰の自由を奪い、チベット仏教のお坊さんたちに宗教を捨てさせようとするやり方は、相手の文化を破壊する行為です。
ダライ・ラマにつばを吐け、というのは彼らにとっては親を捨てろ、子供を捨てろ、ということと同じ、いや、もっとつらいことなのだと思います。
・・・ああ、また熱くなってしまった。
信じるところに神は現れる、と言いますが、当時のチベットはその言葉を信じさせるところのある場所でした。
読んでるぼくも、ドッキンドッキンしてきちゃう不思議・・(*@_@;)
カルマパ17世からの祝福シーンも印象的・・
「絹の重さと感触」読んだ時、なぜか僕のあたまも解き放たれたようにふんわりしました・・☆(*@0@;)~
お写真も生活観って言うか、そういう歴史みたいなもの感じられて、なぜかなつかしい・・
でも、やっぱり、今のチベットと中国のあり方には、個人的にはとても残念な気持ちです・・><
1つ前の記事を読ませていただいたときも思いましたケド
チベット独立して欲しいです。。。
glycogenさんの撮られた写真を見せていただくと
何だか胸が痛くなります
宗教と政治が絡むとロクな事にならないというイメージは
比較的ゆるい日本に生まれ育ってるせいなんでしょうか。。。?
(↑私だけかもしれないですケド)
宗教に関する話はややこしい事になることもあるので
あまり突っ込んで書けませんケド、もやもやしますね~