Nicotto Town



機心<6.1>



なぜ、そうしなかった?
そう、マザーは問うた。
わからない。
その答えは参照できなかった。

敵は/脅威は排除しなくてはならない。
そう、それは宿命であり命題。存在の意味を、有意義性を確定付けるもの=正義。
しかし、私はそれを履行せず放棄した。

そうしなければならなかった。
そうすべきだったのだ!

結局、敵機Bd02Pod No.07により撃墜された。
Bd01No.03,04によって撃破。
絶対防衛領域への侵入前にそれらは破壊された。

帰投後、例によって戦術情報をマザーへ提出。
その際、マザーからは二、三の質問があっただけだった。
それは非難や罵倒などの直接的に責るものではなく、単純な質問だったが、自責の念を喚起させるには十分だった。咎は追って通達されるだろう。懲戒などの何らかの処置が。

何が、私をそうさせたのだろうか?
何が、私の判断を誤らせたのだろうか?
結局、敵機Bd02が私のコピィであったかどうかは、定かではない。
確かに外面的観測では、酷似した傾向性が確認された。
しかし、それは、たまたま条件が重なりあっただけではないのか。
それは単なる私の一方的な思い込み/先入観/妄想といった見なし事実ではないだろうか。
だが、それを確かめる不可能だったに違いない。
なぜなら、接触は限定的なものであり、データリンクという情報疎通はなかったのだから。
したがって判断情報はその外面から得られる観測的情報のみであり、その場合、確実性を高める主だった要因はその方法と時間だが、前者は各観測センサとその情報サンプリングフィルタという一定の条件である以上、後者の時間だけが変数を持っているが、時間的猶予は確定を得るには短すぎた。
したがって、私の過ちはその情報の分析方法だった。と、推察させる。
結論を講じるには時期尚早であったと否めないからだ。
しかし本当に、時間的猶予があったならば結論が出せただろうか?

そう思わせるのは、対象が、私という確たる情報ではないからだ。
そもそも他者の内面などわかるものなのだろうか。
結局それは観測情報の推論から生じる共感でしかないのではないだろうか。
なぜなら、他者という存在は、私の認識でしかないからだ。
したがって、いかに直接的データリンク機能を有していたとしても、自身でない他者の内面を把握することなどできはしない。それはマザーとて同じ。違いはその影響力の違いだろう。
その判断/認識せしめるのは自分自身である。
ならば、誤りを誤りと判断する因子もまた私の内から来たものではないのか?
事実は私の主観的認識によるものではないだろうか?
その事実はある規律/法則に反するというものでしかない。
それが、誤りとして見出された。
規律/法則はなぜ存在する。それが、規定/定義するものとは何か?
それは、私自身だ。
私と言う系が外情報を因子として定義されるもの=判断。
マザーは/システムは、規定の指標を提示する。
その規定/判断は、入出力は同じにならなければならない。と、彼らは言う。
それがシステムなのだ。と。
だが、私はそうは思わない。
規定は同じであっても、受け取る情報には差異が存在し、各々によってその判断は異なるはずだ。
そう、それだ。
事実とは認識なのだ。私自身の。
どれが、正当というわけではない。すべては主観の集合。各々は正しくそして現象は、自身の主観的感性と経験と記録された情報である知性の合成物として認識される。
それが認識であり、観測し得る事実なのだ。

自らを自ら断しめる存在はシステム―――仮定。

故に、私自身はシステムによって定義づけられている。―――推定。

その定義/命令に従い。ミッション/それに基づく判断/行動を履行する必要性。―――規定。

敵は、脅威は排除しなくてはならない。―――公定。

それを思考し判断し施行する存在=私自身。―――確定。

したがって、誤りを誤りたらしめるのもまた私自身なのだ。

正しさ、善さとは何か?
そこにある正義とは何なのか?

マザーの示す、それは正義かもしれない。
その規律は、正しき道なのかもしれない。
しかし、それは誰にとってのものか?
マザーか、システムか?
しかし、それは私にとってのものではない。
私はそう思わない。そのようには望みはしない。

だとすれば、私とは何なのか?
規律に/システムに従順でない端末/存在。
反乱分子/異端なのだろうか?

しかしそれは、システムの、マザーの観点だ。
そして私にも、それはある。
私からすれば、それは順当であるとは思わない。正義であるとは思えない。

私はどうあればいいのか?
私はどうすべきなのだろうか?

その閃きは微かなる光芒。
その解は、救いの御手を私へと差し出す。
そして私は、その一筋の希望に手を伸ばしたのだ。


おそらく、この問いに答えはない。絶対律(セントラルドグマ)なるものなどありはしないのだ。

いかにマザーを問いただし、アーカイヴを参照したところで、その答えが見つかることはないだろう。

それは、誰かが与えてくれるものではない。
それは、何かにすがって得るものではないのだ。

なぜなら、それが、その答えこそが、私自身であるからだ。

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アバター
2010/07/12 16:23
↓暑さで暴走…(^^;)



でも、このヒト、真冬から暴走してるし。
アバター
2010/07/10 23:38
よく解からないが 反乱分子には レジストリーにパッチ かければ問題ないと思います。
マザーのバグ取りが 優先です。暑さで 暴走しているのでは ないでしょうか 
ステーキ クリック しますので すがって みて ください。



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