Nicotto Town



チベットへの旅13


チベット写真1はこちら
http://tabj.web.fc2.com/shasin/tibet1.html
サイトからの転載なので説明文が少々変ですが、そこら辺はあまり気にしないでください。

5時半に服務員にたたき起こされる。
5時に起きなければならなかったのだが、アラームを午後5時にあわせていた。
出発してしばらくは真っ暗。
寝袋に包まって寝る。

7時に車が停まったので、トイレに走る。
良いところが全然ないが、まだ暗かったし誰も起きていなかったので、意を決して適当なくぼみで済ます。
終わった頃に人が出てきたので、早起きは3文の徳なのである。
バスに戻ってわかったが、今回はトイレ休憩と言うより、車の調子が悪いためらしい。
インドの時みたいに車軸が折れて5時間停車、なんてことにならなければいいのだが。

昨日上着を貸した人に、シャツまで貸して寝袋に包まっている。
寒い。
足の方から冷えてくる。
サンダル履きは失敗した。
死体のような手。
顔色も悪いようで、唇が真っ青だと言われた。
けど私はまだ大丈夫。
それよりぐったりした人が何人もいるのが気にかかる。

10時半、2度目のトイレ。
今回私はトイレに走らず、バスによじ登った。
私のリュック、わざと一番端にしておいたので、幌をかぶせてあっても荷物が取れるかもしれないと思ったのだ。
思惑通り。
靴下とカーディガンとカイロを掴み取り、カイロは他の人に分けた。
私はカーディガンとカイロで人心地。
寝袋があっても半袖はつらい。

12時頃、3度目のトイレ休憩。
ここで標高5080メートル、最高度の記念撮影をする。

具合の悪い子が二人、T君の先輩と同行の一人だ。
フフホトのパオで酒を飲まされ、それから強行軍の移動を続け、朝にゴルムドに着いてすぐバスに乗った人たち。
2時頃、今日最初の食堂での食事になったのだが、ふらふらしていて一人で歩けない有様である。
熱が高いので、脱水症状だろう。
塩と水を強引に持たせる。
ほんの少しでも水分を取らなければ。
と言っても私も多分それだ。
朝から3度吐いているし、小水もほとんど出ない。
食後も吐いた。
ま、まだ限界に程遠いことはわかっている。
それよりまともな準備をせずに来てしまった子達の世話を焼く。

食後、雨が降り、続いて雹になった。
5分降ったら日が出てきた。
入道雲がすぐ近い。
触れそうだ。
標高が高いからだろうか。

4時と7時にトイレ休憩。

一番前に陣取ったアメリカ人がロック好きで、持ち込んだテープをバスの運転手にかけさせる。
車内スピーカーでがなるのですごくうるさいのだ。
病人が多いのに迷惑である。
うるさいと言って一度静かにさせたが、こっちを馬鹿にしているのか単に馬鹿なのか、すぐボリュームを上げる。
最初は面白がっていたらしい運転手も、しばらくするといい加減うるさくなったらしく、中国人の歌をボリュームを下げて掛けだした。
助かった。

午後になると工事人をあまり見かけなくなり、代わりに放牧が多くなった。
道路は前よりがたがただが、一応の舗装はされている。

8時半のトイレ休憩。
ようやく少し出る。
よし、体調が上向いてきた。

少しずつ日が翳ってくる。
その空の色、雲の色がたまらない。
こういうのは写真に写りっこないから、目に焼き付けるしかないだろう。

バナクショーホテルに着いたのは11時。
日本人一括で支払うことにしたら12人もいた。
行動を乱すのが2人ほどいて、少々もめる。
お目当ての宿があるのはわかったけど、深夜なんだから今晩だけここに泊まろうよ。
まだどんな町かわかってないんだから。

私たちの部屋はシャワー室の上の10人部屋だった。
後でわかったが、普段は従業員が礼拝に使っている部屋らしい。
一応たった二人の女性だったのを考慮されてか、前室みたいなところが私の寝床になる。

いったん寝床に入ったが、また起き出して男の子たちとおしゃべり。
天井でどこどこっと音がし、ねずみが2匹以上いることが判明。
宿の裏にはヤクとヤギがいて、ちょっとうるさい。
でもザーサイをつまみにビールを舐めていたら、気持ちよくなる。
就寝1時半。

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2010/07/08 09:23
私もです^^
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2010/07/07 23:46
うっうん・・日本人よわいとこ、
ぼくも気をつけたいです☆(*u.u)
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2010/07/07 16:06
そうですね、典型的な高山病です。
よくヒマラヤ登山隊の人なんかがハアハアしちゃっている、あれです。
当時余り体が丈夫なほうではなかったので、病気慣れしている分、吐くのも平気だったのです^^;
まあアメリカ人って国籍聞く前に言動でわかりますからね。
でもそれを言えば、日本人もわかりがち・・・人の振り見て我が振りなおせです。
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2010/07/06 23:43
唇青くなったりお体冷えちゃうのは
5000メートル以上の高地で酸素が足りないからなのかな?
3回も吐いちゃっても、他の子達お世話する
グリコさんの姿に涙したっす(*@@。)
それにしてもバカアメリカ人むかつくねっ(*>3<*)=3
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2010/07/06 09:21
イタリアーナさん
標高5000メートルを超えると、ほとんど草木も生えていません。
大きな石がごろごろした中、何かの境界とかすごく高いところなんかに石を積んだ場所があり、そこにはヤクの頭の骨にチベット文字のお経を書いたマニドイとか、石にお経を書いたマニ石があり、やはりお経を印刷した色とりどりの旗がひらめいています。
別に嫌いな音楽でも音量がまともなら我慢しますが、フルボリュームでガンガンやられたら「病人がいるから静かにして」と言いたくなりますね。
大体日本人女子はただ笑っているだけのアホ、と言うのが西洋人の認識らしいので、私のようにガンガン言う奴がいるとあからさまに首をすくめて見せたりするんですよね。
こっちも大げさに「あーあ」というポーズを取ってやりました。
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2010/07/05 23:30
標高5080mって想像つかないですぅ><;
ホントに音楽は趣味に合わないものだと我慢するのが大変かも~
脳内を休めたいのに…って時ありますもの。ましてや、体調不良ですしねん!
白人は大抵が有色人種をバカにしているケース多しでしょう。
10人部屋ってどんなかしらん?
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2010/07/04 07:35
Rinoさん
いや、初めての旅の人よりはオネーサンでしたから。
本当に外国に行くと値切ったり交渉したりばかりで、私は難波の商人か~と時々心の中で突っ込んでいました^^;
私と同世代の方は「俺のほうがすごい旅をしたぜ!」という方も多いと思うのですが、私の強みは旅日記だけはつけていたので細部を思い出せることかと。
高校の修学旅行の時、つける楽しさを教えて下さった担任の先生に感謝です^^
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2010/07/03 22:31
こんばんは。

過酷な状況なのに他の方達の面倒まで。。。
行動力や判断力もすごいし
すごい方の文章を読ませていただいてるなぁと改めて思います

他にもあちこちにご旅行されてるみたいですし
本当に旅行記が出せそうですね~(*^^*)
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2010/07/03 17:08
つるまつさん
ちょうど7月の終わりごろで、私のほかは大学生が多かったのです。
だからあだ名は「姉御」・・・
留学生の子達を通訳代わりにして、助かっていました^^
アメリカ人はチベットでもバーガーを食べようとしたらしいですよ。
バナクショーホテルには激まずのヤクバーガーがありました。

グレープさん
結構きつい行程だったので、今は酸素マスク付のラサ行き列車が走っていると聞いてびっくりしています。
便利だなー。
その頃は夏休みだったこともあり、日本人の大学生がたくさんいました。

ジョバンニさん
標高5000m強はネパールでも経験したことがありますが、ゆっくり体を慣らしていっても5000メートルを超えた途端に全然動けなくなります。
空気も薄いですし。
3000mで最初の波が来て、5000のところでもっとでかい波が来る、という感じです。
さすがに5000メートル以上の地帯は人もあまり住んでいないんじゃないかなあ。
気圧が低くなると沸点が下がるため、ゴルムドあたりからご飯を炊くのに圧力鍋が欠かせなくなり、麺類がまずくなってきます^^;
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2010/07/03 15:55
標高5000超えなんて想像もつきません…(^-^;
それでもその地域の人たちからすればそれが普通なのでしょうから、人の体は順応しさえすればどこででも生活できるのが良く判ります。
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2010/07/03 15:46
かなりきつい行程ですね。
んなところに、12人ですか!
それも、またすごい
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2010/07/03 08:29
glycogenさんの順応性、その裏付けとなる危機対応能力、感服いたします。

5000m超えてまともに活動できるだけでなく、どうやらまとめ役までなさったご様子。スゴイ!


しっかし、アメリカ人てのは、どこ行ってもアメリカ持ち込む人が多そうで、辟易しますね。


続き、楽しみにしてます。




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