名古屋晴明神社(続き)
- カテゴリ:その他
- 2009/02/15 09:21:42
晴明屋敷跡 長養寺乾街道一丁余
松木五六株あり。里人伝えて言う。「往古、安倍晴名住宅跡なり」と。晴明此処に在りし時、当邑蝮蛇多きを見て加持して之を封ず。是より一村に蝮蛇を見ず。然るに近年蝮蛇を見ることあり。村民歎いて曰く当邑蝮蛇を除く事既に久し、今虫の属有ること思わざるの事也と衆議し、長養寺に請いて、彼の趾に標木を立つ。時に安栄戊戌七月八日也、晴明の神霊を勧請し、密噴を修し、法楽をなししより、又再び蝮蛇を見ずとなん。安栄七年(一七七八)。御時歴ではこの説が神社の起こりとしている。
又晴明公がこの地を通りかかった際に、農夫が田に生えた雑草に苦しんでいるのを見て哀れに思い、草が生えないように呪符によって封じたのが由来という別の説もある。
原文 清明塚
在同村、里老伝云、安倍清明過此地、見農夫苦田中多草、書符禁之、爾後其地不生雑草、築塚祀之、然不知実否
最近の晴明塚伝
昭和に入って、この地が陸軍第三師団工兵第三大大隊の演習地となった時に、演習の邪魔になるからと晴名塚を壊し、祠を移動させた所、工兵が高熱を出してうなされるということがあり、晴明工の祟りということで、塚を築きなおし、祠を元の場所にちゃんと清めて戻した所、寝込んでいた工兵の熱はうそのように引き、直ってしまったとされている。
又、晴明神社の近くには現在県営清明山住宅が建っていますが、その建設の際、同様に塚を壊し、祠を撤去した所、同じ場所で2回も続けて大事故が起きたために、直ちにお祓いをした所、その後不思議にも大きな事故は無くなったと伝えられている。県営住宅が完成後、入居人がこの話を聞き、晴明公をちゃんとお祭りしなおそうということになり、昭和32年(一九五七)九月に再興晴明神社建設発起人会が発足し、翌年に完成したお社が愛知県神社庁に登録されたのが現社殿です。その後、最近になって改築され、現在に至ります。