山中鹿介は言いました
- カテゴリ:その他
- 2010/05/30 21:54:49
ある日のことです。
私は“幸せになりたい”と物思いにふけながら海辺を歩いておりました。
海風に沿ってやってくる潮の香り。一定のリズムで聞こえてくる小波の音。
天高く上っていた太陽は黄赤色に放ってゆっくりと海底に沈んでいく。
沈む夕日を見ていると、青春を思い出し海に向かって何か叫びたくなってきます。
「・・・・・・・・・・・・・・を与え給え」
おや?
聞き取れませんでしたが、
どうやら叫びたくなったのは私だけではないみたいです。
叫んでいるお方も青春を思い出しているのでしょうか…
「我に七難八苦を与え給え」
ん?
今、何と言いました?あまり良い言葉では無かったような気がしましたが…
「我に七難八苦を与え給え」
また言った!幸せを願うこの世代に何故自ら苦しみを望もうとするのです!
一体どんな人物が言っているのが気になりましたので、声がした方向へ向かいました。
すると、
夕日が逆光し、具足を着ている人物のシルエットが見えます!
誰?・・・(゚_゚i)タラー・・・
そっと、近づき、失礼ながらもお顔拝見いたしました。
“我に七難八苦を与え給え”と言っていた人物は…
山中鹿介様でございました…
~補足~
久々の〇〇が言いましたシリーズのような気がします。
偉人の残した言葉をどう表現すべきか想像できずにいました。不甲斐ない…
まぁ、昨日、今日仕事が休みの間にそこそこネタを考えたので、しばらくの間はネタ切れは大丈夫でしょう。
さて、山中鹿介について、知名度はあまり高くないと思いますので、簡単な説明をします。
山中鹿介(ヤマナカシカノスケ)
出雲国(島根県)尼子勝久に使えていた武将。
毛利の侵略により尼子家は敗北。それから満月が近づく三日月に向かって(三日月を守り神として称えてるから)我に七難八苦を与える代わりに尼子家復興してほしいと願い続けたが、結局願いは叶わず死罪になってしまった人物
お月様にお願いするメルヘンチックな武将がいたなんて驚きです。
インパクト高い人物なので調べた内容を私の頭にある戦国武将辞典に保管完了でございます!
以蔵さま~ではなく、利家さま~ (ρ_;)
岡田以蔵の最後を知っているので、
捕まりたくない!殺されたくない!
と必死で逃げる姿に涙がウルウルでございます~
あぱんさまへ
いやいや、
短い言葉でもいろいろな理や意味があると思うので
あぱんさまの解釈も正しいと思いますよv
後世に残してきた言葉なので、絶対他にも意味があるはずです!!
ふと空を見上げました。。
そこには今にも折れそうな三日月が、まるで以蔵の荒んだ心を癒すように輝いています
逃亡生活で疲れ果て、お腹を空かせた以蔵は言いました・・・
(゚Д゚)我に饅頭を与えたまえ・・・・・
「若いときの苦労は、買ってでもせよ」的な意味合いで、あえて困難に立ち向かうぞという覚悟を語ったのか
とばかり思っていました。
全然違うんですね。勉強になります。