真田幸村は言いました
- カテゴリ:その他
- 2010/05/21 21:38:50
赤い郵便受けに1通の手紙が入っておりました。
年期の入った茶ばんだ紙で中に入った手紙を包んでおられます。
これは、誰かのいたずらか?いくら使わないとはいえ、郵便受けはゴミ捨て場ではござらんぞ!!
文句言いながらも、しかたなく、宛名が書いてある所を探しました。
すると、
“小山田 殿”
と書かれております。
誰?
これだけではわからないので、送り先が書いてある所を探しました。
すると、
“真田 信繁”
と、書かれております。
ん?真田信繁?真田…真田…真田…信繁…信繁…信繁…
!?
こ、これはもしかして、真田幸村様~\(*T▽T*)/ワーイ♪
何故、はるか昔のお方から手紙が届いているのでしょうか?
まぁ、そこは深く気にしない!!これは何かのめぐり合わせかもしれないから!!
この手紙は明らかに私宛てではございませんが、いけないとわかりつつも手紙の内容をこっそり読ませていただきました!
「 この壷に焼酎をお詰めください。
お恥ずかしいが、いっぱい詰めて、
壷の口をしっかりと目張りしておいて下さい。」
こ、これは幸村さまが焼酎が欲しくて助けをもとめている!?
な、ならば、私でよければお酒をたくさん用意いたしましょう!!
貴重なコインを使用して焼酎をたくさん購入し、幸村さまへ送る用意を整えました。
よし!完璧!!
でも、ここで疑問。
用意した焼酎。一体どうやって幸村さまに送ればいいのでしょうか・・・
~ 補足 ~
今回は、“言いました”というよりも“書きました”シリーズです。
関ヶ原の戦い後、九度山へ配流された時、姉の夫に送った手紙の内容です。
心に染み渡るような言葉ではありません。
ただ、私が真田幸村が好きな分類に入る&文章化しやすかったから、この言葉を選びました。
ゲームとかマンガとかドラマとかいつもかっこいい真田幸村ですが、実は侘しい手紙を送っていたなんて!これだから面白いのだよvv
あっ!ごめん。イメージ崩しちゃった?
でも、想像物としてお館様と一緒に焼酎飲んでいる姿もかっこいいと思うよ。
最終的に酔いつぶれて佐助に助けてもらうオチ。
実はまだまだイメージガタ落ちで幸村ファンとしてショックを受ける史実があるけれど、
ここはあえて言わないでおきましょう(^m^)
俺の中のイメージは
「カッコ良い」「熱血漢」「忠義心がある」
完全にBASARAやないか。((おm
焼酎は…自分未成年でs((
子供…俺との子供h((
今回の内容で、真田幸村のイメージが下がってしまったのなら、誠に申し訳ございません。
関ヶ原の戦いで西軍につき、上田城の戦いで勝利した所まではよかったのですが、肝心な石田三成が敗れた為、西軍は負けてしまいました。徳川家康は真田親子(父・昌幸・子幸村)を危険人物として九度山に配流されて酒の飲めない貧乏生活を送ってしまわれたわけですね…
でも、貧乏生活を送りながらも想いはずっと“真田の為”“豊臣の為”(豊臣には恩があるので)武将としえの魂は捨ててはいません。
14年間、機会を待ち続け、豊臣秀頼が大阪の陣をするため召集をかけたところ、我先に!と真田の監視役からもすり抜け大阪城へ向かい、冬の陣・夏の陣で戦って果てたかっこいい所もございます。
なので、ちと真田幸村のイメージは変わっても失望はしてあげないで下さいませ。
真田幸村に送れなかった焼酎。今宵、幸村伝説に物思いながら晩酌するとしましょう。
どれも間違っているのかもしれません。伝説は多いですが、その実、謎に包まれた人でも
あります。
上記の手紙文を拝見したときは、なにかの暗号なのかと思いました。そうではなく、ただ焼酎が
欲しかっただけなのですね。。。
その焼酎を幸村殿に届ける妙案は、僕には浮かびません。
ならば明日あたり、幸村伝説を語らいながら、一献酌み交わすというのは、いかがでしょう。。。
コメントありがとうございます!
なつさまの仰る通りでございます!全然乱文ではございませんよ(*^-゚)v
九度山に配流されて真田紐を作って生計たてていても、所詮は内職なので貧乏暮らし。
“焼酎下さいの手紙”を送るくらいなら、子供たくさん作るなよ!!
とも言ってやりたいですね。
歴史に詳しいなつさまならば、この言葉もきっと理解して下さると思います 。
なんか、私の方こそ乱文になってしまったみたいです…
真田幸村という文字を見つけて、来てしまいましたwすみませんw
幸村大好きです。歴史もの大好きですw
この頃の真田一家はたしか、真田紐をせっせと作っているころですよね…
貧乏生活中の幸村も、大阪の陣(冬・夏ともに)で大活躍している幸村も大好きですww
乱文・長文失礼しました!!!