武田信玄は言いました
- カテゴリ:仕事
- 2010/05/10 19:20:21
今日は仕事についてのお話です。
私が働く職場の上司は、今の時代には珍しい(?)熱血マン気味な性格です。
手に終えない仕事や、私自身が判断できそうにない仕事になれば、上司に相談すると
「よし!わしに任せろ!」
と仕事を代わってくれる頼りになるお方です。
しかしながら、頼りになる上司ですが、1つだけ難点があります。
話がひじょ~~~うに長い。
わしの話を聞いてくださいと言わんばかりに、奥さん娘さんについての話・休日に過ごした話・過去の武勇伝の話をひたすら話します。
5分ぐらいなら、早いほうです。下手をしたら30分ぐらい話を聞かされます。
この前なんて、仕事でヘマをした時1対1で向き合い、1時間ぐらい説教をくらった事もあります。(サザエさんで波平さんがカツオくんを説教している姿をご想像くだい)あれはさすがに参りました・・・聞くのに・・・
というわけなので、最近はずっと聞くのも疲れてきたので聞く耳もたずでございます。
ちゃんと、話を聞いていますよ!と思われるように“そうですか”“すごいですね”とちゃんと相槌をかかせずに・・・
そんな時です。
横から突かれたので、突かれた方向へ目を向けました。
するとΣ(゚д゚;)
真っ赤な着物を着て、片手には軍配。着物の下に着ている具足には4つに組み合わされた菱形の家紋。
こ、このお方は…
武田信玄 様ではございませんか ~(; ̄Д ̄)
ど、どうして職場にいるのでしょうか?
まず、何よりこの時代には生きてはいませんよ。信玄様。
慌てふためく私を横に信玄様はそっと小声で囁きました。
「 人は童子の時より知れり 」
(゚_。)?
これは、どういう意味でしょうか?さっぱりわからん。
私の心情を察したのでしょうか?信玄様はパソコンのキーボードに手をやり、カタカタと文章を入力していきます。
昔の人なのにパソコンを使いこなすって・・・(゚_゚i)タラー・・・すごい・・・
信玄様がパソコンで入力した文章は、先ほどおっしゃってくれた言葉についての意味でした。
意味:
・ 口を開け、語る者の頭ばかりを見る子は、うかうかとしてさほど出世しない。
・ 同じく語る者の顔を見ているが、時に笑みを浮かべる子は、武辺誉れの者になるが、過剰な面があり、人の憎しみを受けることがある。
・ 耳を澄ます様子の子は、経験が身につき武辺覚えの者になる。
・ 途中で席を立つ子は、十中八、九、臆病になる。
文章を読み終えた後、信玄様のお姿は消えてしまっていました…
つまり、これは・・・将来のために助言してくださったお言葉ですね!
でも・・・意味的に耳を澄ますようにしたいのですが、
今の状況…自慢話をしている上司は目で返事が来るのを待っていますよ!
ど、どうしたらいいのですか~信玄様~。゜゜(´□`。)°゜。
~ 補足 ~
非常に長い文章になってしまいました・・・
ここまで読んで下さった皆様、誠に有難うございます。
ところで、私に気にかかる事があるのですが、カテゴリ“仕事”で大丈夫でしょうか?
武田信玄が出て来る事を除けば、事実の内容です。
う~ん・・・悩むなぁ~ ( ̄ヘ ̄;)
いいなぁ~!桃狩りに行けて、甲府にも行けてo(≧∀≦)o
甲府って山梨県だったよね?確か…
全然、足を踏み込んだ事がないから?一体どういう所なんだろ!!
なんか、私、甲府よりも“桃狩り”という単語にときめいちゃったな☆
桃が食べたくなっちゃった…(*^-゚)v
メルティーさまへ
武田信玄と山本勘助が好きな甲斐あって素敵な解説ありがとうございます!
“風林火山”てっきり、武田信玄だけが使っていたのだと思ってました!!
実はまだ過去に歴史があったとは驚きです!
まだまだ、私は戦国好きのくせに知識不足です。ちと反省…もっと勉強しなくては…(´Д`)ノ
私の中での武田信玄のイメージはメルティーさんが仰るとおり、“風林火山”“川中島”あと、“甲陽軍艦”“ぐっとくる言葉”ぐらいです。基本的な知識しかないので、メルティーさんの内容はためになります!!
次回、〇〇はいいましたシリーズでまた、素晴らしい解説楽しみにしてます!!
って、他人任せ…何頼っているのだろう私って…←(一人突っ込み)
あぱんさまへ
武田信玄、素晴らしい言葉を残してくれていますが、
いざ、言葉通りに実践行こうとすれば、ちと難しいですね…
習慣性が身についてしまっているのでなかなかうまくできないと思いますf('▽';)
も、もしかして、だからあえて武田信玄はこの言葉を残したとか!?修行しろ~って!!
“仕事”カテゴリが大丈夫って言ってくれて安心しましたC=(^◇^ ;
仕事?自作小説?なんか、あてはまらないな?と思っちゃいまして…
“文学・歴史”カテゴリがあれば、もっと歴史好きの人と知り合えるのにな…
有名なのは「風林火山」の旗印と宿敵「上杉謙信」の川中島の合戦でしょうか?
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく 侵し掠めるの意)すること火の如く、動かざること山の如し)
しかしながら、日本で最初にこの旗を用いた武将は信玄から200年ほど前、南北朝時代の若き公卿武将、北畠顕家が、京を制圧した足利尊氏を打倒するために陸奥多賀国府(現在の宮城県多賀城市)で兵を挙げた時から使用していた陣旗です
北畠顕家はこの風林火山の旗印を立てて奮戦し、一度は足利尊氏をあわや自害のところまで追い込んだのです
が、江戸時代以降の軍記物などで武田軍をイメージするものとして盛んに取り上げられ、「風林火山=武田信玄のイメージが定着しました
この風林火山は中国の兵法家『孫子』の軍隊の進退について書いた部分にある「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」から引用されたもので「移動するときは風のように速く、静止するのは林のように静かに、攻撃するのは火のように激しく、隠れるには陰のように目立たず、防御は山のように強固に、出現は雷のように突然に」と言う意味
また、後に作られた甲斐節(信玄出陣の時を歌ったとされる)の一説に
「人は石垣 人は城 情けは味方 仇は敵」とあるように、領民の事を思う名君としても謡われています
また、当時一介の足軽大将でしか無かった「山本勘助」を軍師に取りたてるなど、身分にかかわらず才能のある者を重く用いた武将としても知られていますネ
ちなみに、テストの「やまかん」が当たった の「やまかん」はこの山本勘助の名前から来ており漢字では「山勘」と書きます
それほどまでに直観力洞察力に優れた武将であったということでしょう
武田信玄と山本勘助 大好きな武将なので長くなってしまいました
カテゴリは、「仕事」でいいと思います。「文学・歴史」とか、無いですもんね。