Nicotto Town


人間万事塞翁馬


高校時代。(中編)


前編の方で色々コメントいただきました。

ありがとうございます^^

どこの学校かは明らかにできませんので、わかった人も学校名など書き込まないようにお願いします><



では、次です。

高1の頃は、何の心配もありませんでした。

食事の時はぼーっとしてても会話が進んでいて、学校生活にしても根をつめて勉強する必要もなかったのです。

休日だけは同級生と食事することができ、そこでおしゃべりする時間は夢のようでした。

ただ、金銭感覚だけはどんどん酷くなっていきました。

友人と外出すれば、必ず1日最低1万円は使います。

毎回、私はお金がないのだと言っていてそれなのですから、裕福な子はそれこそ無限に使っていました。

家賃も食費もすでに親が支払っているのに、更に月10万円のお小遣いをもらっていました。

両親は、そういう学校に入ってしまったのだからしょうがないのだと言ってくれました。

おかしいと思いつつ、毎週有名なお店のスイーツを食べ歩き、マッサージに行き、同級生の誕生日がくるたびに高価なプレゼントを贈りました。

人に流されるのが一番嫌いだったのに、いつしか誘われたら断れない意志薄弱な人間になっていました。

寄宿生は平日は校門の外に出てはいけないので、それだけが唯一の救いでした。

やがて寄宿では親友ができ、誰とでも仲良く付き合えるようになりました。

寄宿生というだけで通学生は皆自然に寄ってくるので、すぐに学校でも学年全員と親しくなれました。

この頃が一番楽しかったのかもしれません。


高2になると、ヘッドをやらなければならなくなりました。

話題を切り出すのは高3の役目だったのでまだ良かったのですが、会話が途切れた時のためにいくつかネタをもっておくようになりました。

いざやってみると下級生の視線が突き刺さるようで、真ん中の席に座るのが恐ろしくなってきました。

それは同級生も同じだったようで、次第に私たちは食事の時間ぎりぎりまで食堂に入らずうろうろするようになりました。

食堂の扉の前でいつも、「今日は何話す?」と相談するのです。

そのうちに、直前に考えても良い案が出ないことに気付きました。

そこでネタ帳を作って(よく芸人がもってるようなやつです)、思いついたらそこに書き込むようにしました。

周りの子たちは「そこまでしなくても」と言っていましたが、そうしないと不安で仕方がなかったのです。

しかし、あまりにそのことばかり気にしすぎ、黙学中もそのノートを見るようになりました。

テスト直前であっても、話のネタ以外のことを考えられなくなりました。

ネタを10個ほど手に書いて食事に行き(忘れてしまうので)、約五分ずつそれを消費し、食事が終わったら次のネタのことを考え(授業中もそればかりでした)、勉強もできず、寝ることもできず、やっと寝られたと思ったら食事中の夢を見、朝起きて考えたねたを確認し・・・

そんな生活が1年ほど続きました。

今考えれば狂気以外の何者でもありません。

第一会話っていうものは、一つネタがあれば1時間でも2時間でも話せるものなのですから。


やがて、楽しかったはずの休日の同級生との食事も、辛いものに変わっていきました。

高2の冬から高3の夏頃にかけて、半年ほど食事をまともに摂れなくなりました。

平日の食事は水だけ飲み、休日の食事はおかずを一口とやはり水だけ。

長期休暇で久しぶりに実家に帰っても、両親とまともにしゃべれなくなっていることに気付きました。

心配してくれた比較的仲の良い友人たちは、私が何に苦悩しているのか知っており、自由時間になるたびにお菓子を食べようと誘ってくれました。




高3になり、私には新しいチャイがつき、自分はエンジェルさんと呼ばれるようになりました。

チャイは帰国子女で日本語もかたことだったので、私がついていなければとよく思ったものです。

寄宿のルールを教え、漢字を教え(これはチャイに頼まれたのです^^)、時には英語でコミュニケーションをとり(これは辛かったですww)・・・

その間だけは全てを忘れていることができました。

食事中も最初はマナーを教えることになっていたので会話に困ることはありませんでした。

しかし班はすぐに変わり、また恐怖の日々がやってきました。

そのうち声が一時的に出なくなりました。

聴力も一時的に下がりました。

学校の指定の病院に行ったところ、精神科に行くべきだとのこと。

両親が精神科はダメだというので心療内科にかかりました。

食事中の会話について、寄宿の先生と相談するようにと言われました。

相談はしましたが、だめでした。

伝統は守らなければならないとのことでした。(今までにも何人か精神科に行き、同じようなことを訴えたそうです)

しかしもう耐え切れず、3年の夏に寄宿を出ました。

一人暮らしは禁じられていましたが、祖母は実家を行ったり来たりして私が外で住めるようにしてくれました。

(字数厳しいのでまた明日w)

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2010/05/06 15:31
いくらテーブル会話を身に着けるためとはいえ、生徒をそこまで追い詰めてしまう伝統というものに、疑問を感じざるを得ません。時代に対応して伝統を変えていくというのも一つの学校経営の在り方だと思うのですがねぇ・・・。
とはいえ、藤乃さんはとてもよく頑張ったと思います。そんな過酷な状況で3年生の夏まで耐えられた事だけでも、充分自信を持っていいことだと思いますよ。
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2010/05/05 20:51
私は、藤のさんのもっと前のブログを見て、何と恵まれた人、何も不自由なく努力で人生を突き進んで
成功裏に生きておられるとばかり思ってきました。ですから、ここ高校時代の寄宿舎生活の内容読んで
本当にそんな世界が存在することを知って、驚愕しています。そして、当時の貴女は間違いなく鬱の症状
だと思いました(私は3年前にその病で治療を受けたので、よくわかります)。
 そして、あなたのブログ「考え中」を読ませて頂き、一言だけコメントさせていただいていいでしょうか?
 私の直近のブログ「裏切り者になってしまった!」を読んでいただきますと、背景がおぼろげにわかっていただけると思いますが、とにかく、私も物事を中途半端にするのは出来ない性格ですから、ここは貴女と似ていると思います。また、物事を真っ直ぐに捉え陽とするところも似ているように思います。だから、
あのブログにあるように悩まれるのだとおもいます。私は、今回の体験で得たものは、「ニコットはあくまでみんなが楽しむ場であって、悲しんだり苦しんだり、しんどい思いをする所ではなく、ココでする活動は
それぞれの個人の権利であって、義務ではない」、私のブログを読んで、私のことをかなり良く理解してくださっているニコ友の何人もが、同様の内容の激励を下さいました。ですから、藤乃サンも、もっと気楽に
ニコットを楽しみましょう!そして、何より源氏物語普及委員会の世話役として、頼りにしているのです
多分メンバ-民なのこれは総意と思っていただいても、間違いではないと確信します。
 6月からの教育実習でたぶん得難い経験をされると思います、そして、それが終わるまでは忙しくて
サ-クルやタウンどころではないとおもいますので、その間は副世話役のtotoさんにお任せいただくように
お願いします。私も「光源氏」という、いわば主人公の源氏名に恥じないよう、サ-クルが活発にそして、
良い方向に発展するよう(それが、藤のさんの気に沿わないようなものにならぬよう気を付けて)頑張りたいと思いますので、忙しくとも週1回のお休みには、サ-クルの掲示板や、伝言板を見に来て、チェックしコメントお願いしますね!
どうぞ、宜しくお願いします!
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2010/05/05 08:31
現実にそういう所があるのですね・・・
花男みたいな世界(知ってるかな?)

楽しかったこともプレッシャーとなり・・・
良い面も悪い面もとても感じたことでしょう。。。

そういった生活と経験・・・
元々、オーガナイズするような能力があったのが感じられます・・・
今の生活も忙しいなりにかなり・・・工面とかなさっているのは
性格もさることながら、そうした経験から養われた面もあるかもしれないですね。

また続きを読みに来ます。
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2010/05/05 06:39
お嬢様学校へ行くと、親同士のお付き合い費用が大変、というのはよく聞きますが、
寄宿生もこの状態では、さぞ大変だったことでしょう。

それにしても、藤乃さんは、本当に真面目なお方なのだと感じます。
真面目でないと、ここまでやったりしません。
そして、真面目な人ほど、そうやって自分を追い詰めすぎて、
自分の身心を傷めちゃうんですよね…。



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