Nicotto Town


人間万事塞翁馬


高校時代。(前編w)


昨日のブログに絡んで、私の高校生の時のことを書きます。


私が通った高校は、札幌にある女子高でした。

東京のある女子大にエスカレーター式に入れるので、東京にある付属の小学校からわざわざ上がってきた人も少なくありません。

元々私はある公立高校を第一志望としており、毎日12時間以上勉強して受験に臨みましたが、緊張のあまり失敗。

第二志望の私立校も特待生になることができず(上位10位に入って特待生になることができれば入学しても良いと条件を出されていた)、結局滑り止めの滑り止めで受けたS女子に入学することになったのです。

S女子はミッションスクールで、いわゆるお嬢様学校でした。

東京にある女子大のほうは、皇室の方が出たとかでかなり有名かと思います。

特に遠隔地から来ている人たちは寄宿に住むことになっており、そこでは徹底した花嫁修業のようなことが毎日行われていました。

私も通えない距離に住んでいたので特に考えもせず寄宿へ。

それが、あんなにも学校生活を左右するとは思いませんでした・・・


S女子は中高一貫だったので、私は編入生としてそこに入りました。

新入生にはエンジェルさん(守護天使)と呼ばれる高3のお姉さんが一人ずつつき、わからないことや困ったことなどあればエンジェルさんに相談することになっています。

新入生は、チャイ(チャイルド)と呼ばれており、エンジェルさんと二人一部屋で寝起きを共にしました。


ここで一日の生活を軽く追ってみたいと思います。

朝6時半頃、音楽が鳴らされると同時に飛び起き、その曲が終わる前に制服に着替え、ベッドメイクをします。

音楽がやむと同時に部屋のカーテンを開け、室長と呼ばれる人が点呼し、朝のお祈りをします。(大きな部屋の中にカーテンで仕切られた小さな部屋がいくつもあるのです)

お祈りが終わると、皆洗顔をするために一斉に水場に走ります。(順番待ちになるからです)

7時から寄宿内を班に分かれて掃除します。

7時半に掃除を終え、朝食を摂りに食堂へ向かいます。

~食事は掃除と同じ縦割り班ごとに摂ります~

八時半に学校へ向かいます。

昼食も、寄宿生は寄宿の食堂に帰って食事を摂ります。

食事は各約1時間で、正当な理由がない限り途中で退席してはいけません。

放課後、4時になると食堂でおやつを食べることができます。(この時間は同級生と食べることができます)

4~6時がお風呂の時間です。

6時過ぎから夕食があります。

そして7時半から9時までは、黙学の時間です。(勉強をしなければいけない時間のことです)

この間は、全員スタディルームにいて勉強しなければなりません。(少しでも物音を立ててはいけません)

そしてようやく、9時半まで自由時間が与えられます。

9時半で寝室は消灯します。

勉強する人だけスタディルームに残り、寝る人はそれまでに寝る準備をします。

学年によって、起きていて良い時間は限られています。

最高学年でも11時半までしか起きていてはいけません。

寝室には何かを持ち込むことはできないので、そのまま就寝します。


そんな感じです。

寄宿には1000のルールがあると言われており、明文化されていないものもかなり多く、かなり困った覚えがあります。

しかし、ここで一番辛かったのはルールよりも食事の時間でした。

先ほど、食事は縦割り班だったと述べました。

中1から高3まで、一人ずつ入るので、1班に6人いることになります。

学年が違えば、当然あまり関わりもありません。

しかし、食事の時間はこの6人でしゃべりながら食べるというのが伝統でした。

特に辛くもないように思えますが・・・

話して良いのは基本的に、ヘッドと呼ばれる年長者の二人(通常は高2、高3の方)でした。

他の4人(高1以下)は話題を振られなければ基本話してはならないことになっています。

ヘッドは机の中央に向かい合って座り、他の4人がその脇に座ります。

そして食事をしながら1時間近く話すのです。

普段全く接点がない人と毎日1時間×3、話せますか?

しかも他の4人も話に引き込みつつ、面白く楽しく話すのです。

面白くない話になると、他の子は明らかにそっぽを向き始めます。

そして、絶えず先生方が見張っているため、30秒以上沈黙でいることはできません。(そんなところが見つかれば、あとで先生に呼び出されます)

なぜそんなことが伝統になっているか・・・

先生はテーブル会話を身に着けるためだとおっしゃっていました。

食べている時にしゃべらなければならないなんて逆に行儀が悪いと言っても、取り合ってもらえませんでした。

とてもおしゃべりな子でも、違う学年ばかり相手では時に黙ることもありました。

もちろん無口な子だっています。

私もその頃は、極端に無口でした。

毎食前、学年全員で今日は何を話題にしようかと話し合いました。

毎食後、今日も上手く行かなかったと言って泣出す子がいました。


(長くなったので次回へww)

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2010/05/05 00:55
私のぐーたら高校時代と比べたらとんでもないことになりそうです^^;

私 今でこそ人と喋るようになったのですが、中学あたりはほとんど喋らずな子で、
高校はまだましになりましたが そんな状況に置かれていたら
きっとうまく会話なんて出来てなかったと思います。。。
そのような生活だと精神きたえられそうですね><;
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2010/05/04 23:31
まるで小説のようです・・・・!!

喋るのが苦手な子にとっては拷問ですね・・・。
けれど、社会に出たら会話力はとても大事なんですよね。
最近ひしひしと感じています。
藤乃さんはこうして会話力を磨かれたのでしょうか?

でもこれがストレスで食べることができなくなったら可哀そうですね。
食事は楽しんで食べなければ美味しくないじゃないですか。体にも悪そうだ・・・。
(高校の時のクラスで、とても痩せてる女子がいました。多分摂食障害だったんじゃないかなと今にして思う)
せめてお茶の時間とか作ってそこで学習させた方がいいような。。。?
学校は美智子皇后の、でしょうか?
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2010/05/04 22:27
厳しい学校だったんですね。
私が通っていたところは、かなり自由だったんで
いろんな学校があるんだなとビックリしてます。
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2010/05/04 21:44
ミッションスクールということで、日本の風習とは若干違う部分もあったのでしょう。
読んでいると、藤乃さんのとまどいや、困惑がよく伝わってきます。
とてもご苦労なさったのだろうな、と。

私の通った公立高校は新設校。
文部省(当時)のモデル校だったとかで、非常に校則や生活態度が、厳しい学校でした。
毎週月曜の朝礼時には、軍隊の訓練のようなものまであり(全体訓練と呼ばれていました)、
誰か一人でもミスをすると、連帯責任といって、地べたに正座させられたり、スリッパで叩かれたり(体罰が当たり前の時代でした)したものです。
いろいろな学校があるものですね。
振り回されるのは、いつも子どもの方。なんとかならないものかと、思ってしまいます。
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2010/05/04 18:36
何か圧倒されて、しばらくコメントも浮かびませんでした。
そういう寄宿生活を美談のように紹介している特番を見たことがありますが、
テレビとして見るのと、体験なさった方のお話を聞くのとでは、
ここまで差があるとは…。

私の通ってた公立高校も厳しさでは有名でしたが、その質というか力点を置いているポイントが
違います。それに、部でかなり息抜きできてましたから。
これは、毎日だとすると精神的に厳しいです。

(…お風邪、ご自愛下さい。)
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2010/05/04 18:21
こんにちは。厳しい寄宿舎生活だったのですね・・・ある意味、私と真逆です。

母子家庭だったので、2つのアルバイトを掛け持ち、テニス部では1年から部長でした(>_<)
部活を終え、アルバイトをして帰宅は23:30頃。片道40分程の距離を毎日自転車で通っていました。

自転車をこぎながら睡魔に襲われることがあり、当時は頬を引っ叩きながら帰路についていました・・・
今となっては懐かしい思い出です。。

環境って、人によってこんなにも違うものなのですね・・・次回も拝読させていただきたいと思います。
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2010/05/04 14:41
長すぎてやばかった。でも
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2010/05/04 13:10
読んでいてびっくりの連続です。こんなに厳しい学校生活があるのか、と。
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2010/05/04 12:01
かなりストイックな高校時代を送られていたようですね。
ネタ合わせなんかの苦労もあったようで・・・

それにしてもいい経験だったかと思います・・・
他の人には経験できないことでしょうから
貴重な日々であったことでしょう。。。

続きもまた読みにきますね。



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