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摩多羅神

今日のはさらに難解。読むなら覚悟して。

 今日は福岡市博物館の「特別展 平泉 みちのくの浄土」に行った。
いわゆる見佛に行ったわけだが、思いもよらぬものを見つけてしまった。正確に言うと、其の事を私は忘れていたのだった。それは、毛越(もうつう)寺の摩多羅(またら)神信仰。

 多分、皆さんは初めて聞く神の名だと思う(知っていれば、私は平伏します)。摩多羅神は天台宗常行三昧堂の道場神。毛越寺でも常行堂に祭られ、摩多羅神を中心に修正会・延年の芸能が演じられてきた。その神の属性は芸能神。

 8年前、この神について調べ、まとめたものをここに載せることにします。
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摩多羅神

常行堂の異形神 
 常行堂の内陣中央にある阿弥陀如来の後ろ戸に、摩多羅神の厨子があります。その神像は唐の頭巾を被り、日本の狩衣を着し、鼓を持つ異形神です。この神は浄土教典と念仏を護持する神として祀られました。 摩多羅神は慈覚大師円仁が唐から帰朝の時に船中で感得した渡来神ですが、一説には最澄が唐の青龍寺に赴いた時に、寺の鎮守の摩多羅神が現れたともいわれます。円仁は比叡山に常行堂を建て、そこにこの神を勧請して祀ったといいます。 この神は自ら障碍神(しょうげしん)と名乗り、「我を崇敬せざる者は往生の素懐を遂げるべからず」(『渓嵐拾葉集』)と円仁に告げました。天台密教(台密)では、摩多羅神は摩可迦羅天(大黒天)、茶枳尼天であるとしており、その本誓は極楽往生ですが、人の臨終に際してその者の肝を喰らうといいます。肝を喰らわれて、人は初めて往生できるのです。常行三昧行の守護神 常行三昧の行法は、阿弥陀如来像の周りを歩き回りながら念仏を唱え、心に阿弥陀如来を観ずるもので、昼夜続けるので常行といわれます。この行が成就すると、諸仏を目の当たりに観ずる事が出来るとされます。常行三昧行、念仏の守護神が摩多羅神で、阿弥陀如来の本地垂迹といわれます。これは阿弥陀来迎に対して、摩多羅神も往生の引導神であったために他なりません。

玄旨帰命壇の本尊
 中世、叡山の教学が混迷をきわめますと、禅宗を模倣して「玄旨帰命壇(げんしきみょうだん」という教えを設けて、その本尊に摩多羅神を据えました。 玄旨帰命壇とは台密の最奥秘で、玄旨灌頂(かんじょう)と帰命壇灌頂の二つに別れます。摩多羅神は特に玄旨灌頂に関しています。灌頂とは師が弟子に口伝の極意を伝授する事です。 玄旨灌頂は、煩悩がそのまま悟りに繋がるという「煩悩即菩提」と、凡人も聖人もその本質は同じとする「凡聖不二」を根本思想に、人は生まれながらにして仏心を持ち、誰もが悟りに到達出来るとする「天台本覚論」を秘伝化し、「一心三観」の教理を授けることです。 「一心三観」とは、真理は空である、すなわち因縁によって生じたもので実在しないと観ずる「空観(くうがん)」、真理は永遠の実在であって現象界は真理が仮に現れたものとする「仮観(けかん)」、空観/仮観のどちらの見方にも囚われない「中観(ちゅうがん)」、の三つの捉え方を各々否定する事無く、真理の三つの現れ方だとみなします。 摩多羅神二童子図(摩多羅神曼陀羅)は、主尊摩多羅神と二童子、丁礼多(ていれいた)と爾子多(にした)の三尊からなり、主尊は鼓を打ち、二童子は笹と茗荷を持って歌舞します。この摩多羅神は中観を、二童子はそれぞれ空観/仮観を表わし、三尊は「一心三観」の本尊とされます。この曼陀羅には、衆生の煩悩による狂乱の舞の中にこそ、悟りへの道がある、という「凡聖不二」と「煩悩即菩提」の秘義が込められています。 本来なら、帰命壇の本尊である阿弥陀三尊を据えるべきですが、衆生同様に俗にまみれた垂迹神をもって、俗世の凡人でも悟りに到達できることを示すためといわれます。 しかし、後世、真言立川流の影響を受けて、最も煩悩にまみれた男女和合にこそ、悟りが生まれると解釈されたため玄旨帰命壇が淫祀邪教とされました。江戸時代には邪教と批判され、玄旨帰命壇の伝法は禁止、廃絶の憂き目を見るに至りました。その処分は立川流の場合以上に徹底していたといいます。




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