医は仁術!
- カテゴリ:テレビ
- 2010/04/03 02:04:40
青臭いことをぐだぐだと(酔っ払いなんで、ご勘弁)。
NHKスペシャル 激流中国「病人大行列~13億人の医療~」(2010/4/3 00:20~01:10)を見て考えたこと。
概要
市場経済への転換に向けてひた走る中国の現実を描いたドキュメンタリ。
富裕層が最高の医療を享受できる半面、大衆たる貧困層は最低限の医療を受けることも困難な中国の現実。病院経営者は「市場経済への転換」を錦の御旗に富裕層相手の医療の充実に奔走する。その半面で診療費を用意できない大衆たる貧困層(それでも、農村レベルでの中・上流層に位置しているのだが)が、まともな医療を受けられずに切り捨てられていく。
コメント
あくまでも、病院経営者としての視点からのみの番組であったため、現場の医師がどう思っているかは、まったく描写されていなかったため、一方的な視点からの批判であることもわかっている。
しかし、病院長の「富裕層に適切な医療サービスを提供しないのは不公平である。私たちがすべきは、富裕層に公平に適切な医療サービスを提供することであって、貧困層の医療は国が行うべきものである」という言葉の中には、華僑が掲げていた互助精神というものが全く見えなくなっていて、西洋流の個人主義の悪しき面が色濃く見えていて、怒りすら感じられる。
対価に対して不十分なサービスしか受けられないのは、確かに不公平である。しかし、貧困層の救済は自分の範疇外のことであると切り捨てる姿勢は、尊敬される大人(たいじん)としては、とても許容できない。
そのすぐ後に、先日放送のあった「タイムスクープハンター2ndSeason『室町飢饉救援隊』」の再放送があったのは、NHKのあざとい作戦のような気もするが、非常に対照的であった。
この中で示されていたのは室町時代の思想としての「徳をもつものはその徳を還元すべきである」という「有徳思想」に准じ、「見返り」を求めず、ただ、市民の救済に奔走した奉公人たちの行動が、非常に対照的であった。
「持つべきものが持たざる者に対して手を差し伸べる」のは、「教会による救済」や先の「有徳思想」のように洋の東西を問わずに行われているものであるが、「権利」を主張し「義務」をなおざりにするのは、人として、どうなのだろうか?
「医は仁術」という言葉がすべてだと綺麗事は言うつもりはないが、これなくして語れないのも事実ではないだろうか。
この言葉を生んだ国が、この言葉を置き去りにしているように見えたのが、とても悲しい。