Nicotto Town


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”自分で勉強してみる”の意味の二重性


個性教育の副作用として自分らしさや自分探しのあげく頓挫する子供が多い。

お稽古事やスポーツを礼に出すまでもなく、かなりの長い時間かなりの人数が蓄積してきた「型」のある物事に、残念ながら個性は通用しない。

言い換えれば「型」は「幹」である。

幹において枝が回避することはまずない。

しかも幹は個性的である。

この逆説的な事実は幹が今もなお洗練され続け、変化していることを意味すると同時に、これまで成立してきた普遍の幹を無視して、幹に合流し洗練することは不可能であることを意味する。

したがって”自分でべんきょうしてみる”の意味には二重の意味があり、
「自立」⇒孤独、と「自律」⇒合流

脆弱かつ無圧力な自主ではなく、
帯紐を形成し圧力に適応できるような主体性が、
意識された上で”自分でやってみる”ことが非常に重要なのである。

その一番原初の形態は赤ちゃんの、さるまねであり、
うまくできると周囲の大人の人たちから褒められる。

やがて周囲の人が驚くような上達をみせる。

本人は充足するだけだが(しかしこれが一番重要)
周囲は日本語特有の表現”すごいすごい”と評価を与えるのである。

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2010/02/19 02:30
真似⇒改良⇒普及⇒新製品または原点に戻ることで、
日本は何千年もやってこれたものね☆
日本人という大きな幹は人類という大きな幹に
とっても近いような感じがするんです♪
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2010/02/19 01:52
先人の、時間をかけて理解してきた事柄や内容を、
自分だけで模索したら、すっごく時間がかかりそう(o^。^o)☆
たしかに、まねは、人間形成にとってたいせつですね~✿
自己流って、遠回りになって、大事なことに間に合わないときありそうです☆

根幹がないと、枝が折れちゃうですものネ♪
みんなと共通の物事の道理がわかる人に、わたしもなりたいな~♥
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2010/02/19 00:56
長いブログだったのに読んでいただいてありがとうございます☆
ニコットタウンが友達作りや、いろいろな発見に繋がり
みんなの活力になるといいですね!!
微力ながら自分も発電所のひとつになれたらなーと想います♪
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2010/02/18 21:56
褒められないより褒められたい
認められないより認めてほしい
嫌われるより好かれたい
客観的に見るとくだらないかもしれないですけど、社会で生きていくには
自分以外の人間の評価もやっぱり必要な気がします^^
どこまで自分自身が求めるのか、誰からの評価を重要視するのかとか
そう言う違いも、すでに個性なんですけど、それが自分だと思えない人が
多いのかもしれないですね。
夢を持て!って言われる事も多くあると思うんですけど
人にすごい!って言われる目標じゃなくても
何か夢中になれるものを見つけられたらいいねって意味なんじゃないかなって私は思います^^




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