死について
- カテゴリ:日記
- 2010/02/14 20:39:25
いきなりの思いタイトルですので
ブッチしちゃって下さい。
我が家の様に高齢者(70歳以上)が4人もいると
若い核家族の方と『死』に対する考え方が違ってきます。
93歳のばあちゃんがいつ逝ってもいいって言うと
バチ当たりだとか、冷たいと思われるかも知れない。
でも、いつ逝ってもいいかな・・・と思う。
もちろん悲しいし元気でいて欲しい。
ばあちゃんを大好きです。
でも93年生きてきて痴呆が出て
子供が次々に先立ち
ばあちゃんは今やりのこした事はないと思う。
我が家ではだれもばあちゃんを邪魔だと思ってない。
家族に囲まれて幸せを感じてる今
ばあちゃんが逝きたいと思うのは無理ないと思う。
たとえばず~っと日が暮れないTDLに行ったとする。
最初楽しいからはガンガン遊ぶ^^
疲れたらお昼休憩してゆったりとまわる。
でも日は暮れないからパレードは始まらない;;;
体力だけはなくなっていく・・・
次々に新しい来園者がきてパワー一杯に遊んでいる。
疲れても見ていて楽しいうちはいいよね。
本当に疲れはてたとき
周りの喧騒が辛くなったとき
楽しいよ一緒に遊ぼう!って誘えない。
なんだかグダグダですが・・・
死ぬことは完全な悪ではない。
表現が変か・・・
ん~っと難しいけど
お別れは辛くても『いいお別れ』はある・・かな
ばあちゃんが苦しくなったり
ばあちゃんが情けない思いをしたり
して欲しくないな・・・
ばあちゃんがばあちゃんである間に
幸せを感じれるあいだに
一杯幸せをもってじいちゃんのところで
ゆっくり出来ればな~みたいな・・・
日常のご苦労察します。
何かいっぱい書きたいことあったような気がしますが、うまく書けません。
いつまでも元気で生きて欲しいと思います。
それが家族の愛情の深さなんだと思います♪
表面の同情などとは違って、おばあちゃん御本人に寄り添って、今までの人生や・・・本人の気持ちや希望を・・・ホントに共感して自分の事の様に考えていて・・。
そうすると自然と、辛くない様に 苦しくない様に って願いたくなるのかもしれません。
人生の終末は、誕生と同じように自然なことで、何万年、いえもっと前から繰り返されていたことなのにね。
今の日本では、最後の時は病院で迎える事が当たり前のようになっていますから、なんだか遠くの出来事で、いろいろな形の最後があることが知られにくいですよね・・・。
余命があって、社会での役目途中で亡くなる方や、御高齢でも辛い持病も無くお元気に過ごされている方が亡くなると・・・本当に辛く;;言葉もありませんが・・・w
私の知り合い達は 「苦しまずにポックリ 眠るように 逝きたい・・・」
と、いつも口を揃えて言っています(^_^;) 私も同感です(笑)
大往生はお祝い事という地域もあったり・・・本人や家族が納得する形での最後を迎えられる事は すごく幸せなことで、kanさん家のおばあちゃんは、その準備がいつでもオッケー♪ という 幸福な準備が整っているという事なのかな? と思いました(*^_^*)
ながながと済みません^^;
自分は中学の時には祖父祖母いなくなっちゃたんで、思い出はあんまり無いんです・・ だから、そんな家庭は憧れます。
体調崩した時、変に入院させるんじゃなく自宅で見たげて欲しい。
病院は快適かも知れんけど、家族に見守られて、安心して眠れる方がきっとばぁちゃんも幸せやと思う。
介護は大変やろけど・・・
幸せに逝くって、なかなか難しい事やから。。