■近代文藝之研究｜研究｜藝術と實生活の界に横たはる一線｜六　(４)

けれどもただ一圖に此の事を中心にやきもきと胸のみ忙しい状態に執着する、一筋途を狹く執ねく追うて行く。家に歸りついてそつと目ざす室を窺ふと、居ない筈の音樂家が深夜に正しく妻と二人きり差し向かひで居る。嫉妬、憤怒、凡て自己に有害な活動であるから大苦痛が伴ふ。一と思ひに刀を提げて躍り込み、男を殺す。取りすがる女をも一刀に刺し倒す。苦痛を除いた刹那の痛快、復讐の快味といふやうなものを覺える。自己の欲する所を成し遂げたからである。斯んな風に一段一歩すべて自己の利害欲不欲を中心にして、それからそれへと一筋に移つて行く。其の一段毎、一歩毎にそれみづからの快苦乃至無快苦の調子が明白に感ぜられる。其の他砂糖を甞めれば味覺を當局にした快があり、名譽を得れば虚榮心を當局にした快がある。實人生とは是れに外ならない。



--------------------
＊註１：けれどもただ一圖に
原本ではこの文頭は前ページの文末より改行なしでつづいている。

＊註２：忙しい状態
「状」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/jyou.jpg

＊註３：途を狹く
「途」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。

＊註４：追うて行く
「追」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。

＊註５：音樂家
「音」の正字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/ne_oto.jpg

＊註６：有害な活動・自己の利害
「害」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/gai_sokonau.jpg

＊註７：大苦痛が伴ふ
「伴」の旧字体。旁の「半」が「拌」と同じ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/ban.jpg

＊註８：躍り込み
「躍」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/yaku_odoru.jpg
「込」の旧字体。「シンニョウ」は「二点シンニョウ」。

＊註９：欲する所
「所」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/tokoro.jpg

＊註10：成し遂げた
「遂」の旧字体。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/moji/sui.jpg

--------------------
■抱月『近代文藝之研究』を註記なしに通しで読みたいかたは、こちらをどうぞ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Ehanadada/tougetsu/kbk_tobira.html