「契約の龍」(153)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/02/08 00:42:32
「…ところでその「王子様」っていうのは……」
「クレメンス大公の事だけど?」
「それは、判りますが……他の呼び方もあるでしょうに、何で「王子」で、さらに「様」が付くんですか?」
「そうねえ……気分、かな?」
「……」
「他の呼び方より、ロマンティックじゃない?「王子様」って」
ロマンティック、って……
「そんな理由、ですか?」
「あら、いけなかった?いくつになっても、「王子様」って言葉にはあこがれるものよ?」
「…そう呼ばれる当人のご意見、というものも訊いてみたいですが」
他にも元王子だったはずの誰かとか、今日も資料漁りしているはずの誰かとか。
「…そういえばクリスは「姫」って呼ばれるのを嫌がっていましたが…いつの間にか噛みつかなくなりました」
…学院ではそう呼ばれる事が――もはや――ないので、王宮にいる間だけの事かもしれないが。
「おや。それじゃあこっちの方が居心地がいいのかしらね?「帰るのはやだ」とか言い出したらどうしましょ」
「それは……ないかと思います。ずっと言い続けていましたから」
「ずっと?…本当に?」
大公の上掛けをかけ直したクラウディアがこちらに向き直り、面白そうな表情を浮かべる。
「ええと…少なくとも、彼女が父親の事を「陛下」と呼んでいる間は…ない、かと」
ぐにゃぐにゃと頼りないクリスの体にコートを着せるのに手を焼いている様子を見て、クラウディアが手伝いに来た。……結構、扱いが荒っぽい。身内だからか?
「それで、あなたは?」
「…は?」
「クリスがうちへ戻ってしまう事について、あなたはどうお思い?」
「どう、って…」
考えた事がなかった。
正確には、クリスの帰郷と自分とを関連付けて考えた事がなかった、だ。クリスは最初から、自分の望みは、「金瞳」をどうにかして、うちへ帰る事だ、と明言していたのだから。
「……とりあえず、今は、そんな先の事までは考えられません。クリスが、ちゃんと、この体に、戻って来られるかどうかを見届けるのに手いっぱいで」
クリスを、ずっと、自分の許へ置いておける、とは思っていなかった、はずだ。いずれ、そう遠くないうちに、どこかへ帰ってしまう女だと解っていた。
…なのにどうしてこんなに衝撃を受ける?
「そうね。先走り過ぎたわ。ごめんなさい、冷や水浴びせるような事言っちゃって」
コートのボタンを留め終えて、だらりと下がったクリスの腕を胴体の上に載せると、立ち上がりながら伸びをしてこう続ける。
「…まあ、時間はいっぱいあるから、ゆっくり考えて?」
クリスを何とか落っことしたりせずに部屋まで運べたのは覚えているが、そのあとの記憶はおぼろげだ。クラウディアがクリスに施す処置について、いちいち説明してくれた気がする。
「課題が片付くまでは私が見てるから、そっちに集中してね。とりあえず今日のところは、ゆっくり休んで」
そう言われて部屋に戻ってきたのも覚えている。
だが、課題が手につく訳もなく、ゆっくり休め、と言われたのをいいことに、早めに寝もう、と思ったが寝付けない。…それで、なぜか部屋に備え付けでおいてあった酒に手を出してしまった。…そこまでは、何とか記憶にある。
翌朝の目覚めは最悪だった。
筋肉痛で、動く事もままならなかったからだ。
…幸か不幸か、そのせいで、一時的にクリスに問題が意識の上で棚上げになったのは否めない。