ポーニョ、ポニョ、ポニョ
- カテゴリ:アニメ
- 2010/02/07 00:27:18
ビデオを稼働させて、見た。
いや、もう劇場には絶対に見に行かないと宣言してしまったからね~。
で。
やっぱりっつうか、面白かったです『丘の上のポニョ』。
これの前に同じスタジオがやらかしたことを考えると、くら~い気分になるのだが。
作品世界は童話の世界、絵本を思わせる暖かいタッチの美術、起きる物事も人の行動も奇想天外で影なく明るい。
とにかく見ているだけでわくわくする。
やはり、アニメーションとは動く絵で、その絵、その動きにこそ命がこもるのだ。
でもって宮崎駿と言う人は骨の髄からアニメーターなのだろう、野放図で好き勝手な童話的世界が動くことで魂を込められている。
話の概要だけ聞いて、見るまでは、
「人間やめて海に住んでる父ちゃん? ディープワンズ?」
だの、あふれ出した海の下の街の映像を見て
「『東京異聞』(あ、字出ませんけど「京」の真ん中は口でなく日でw)?」
と、ど~も不気味さが拭えなかった。
が、これは子どもの目から見た世界、と思うとダークなイメージは減った。
いや、さっき「影なく明るい」なんて書いたけど、制作者(というか監督)に悪意がないわけじゃない(ポニョがもうしっかりと肉食だったり、やはり街を思い切り水没させてたり)にせよ、大きく主張したがる毒ではなかった。
なもので、リサさん(宗介のおかあさんね)に対する反感だの非難だのがあるらしいと聞いて驚いた。
曰く、あの無謀運転はなんだ。大水が来てる時に無茶な運転するな(まあエンジンに水が入らないかとハラハラはしたけど)、ポニョはどこの子か分からないだろ、息子を置いてひまわり見に行くな!
……あのさー、五歳の子どもから見たかーちゃんだよ?
自分の言うことは信じてくれる、子どもを守るためなら無敵、そして大人の行動なんて子どもから見れば理不尽きわまりない。
でもって側から離れなければ主人公は活躍できないじゃない。
作中のリアルは、絵本の中、童話の世界だ。
だからポンポン船で水の上を行く子どもたちに、他の船の大人たちがエールを送って「後から行く」ですませているのだ。
リサさんに怒っている人は、みんなきっとすごく真面目なんだろう。
作品のモードで頭が切り替わると楽なのにな~
動きにあふれ、生命力にあふれ、でもあふれすぎ飽和した生命力で水底に沈んだ街を見ると、わずかにふと死の匂いを感じなくもない。
水のモチーフと死の匂いに満ちたファンタジィ『光車よまわれ!』を思い出したりした。
全然ベクトル逆なんだけど、何故だろう。
作ってるのが大人である以上、なくし得ない影・毒の部分のせいなのかな~?
え−、民話や昔話を深く考察しない方がいいような意味で、あまり分析せずストレートに楽しんだ方がいい話だと思いますよ。
なんというか、制作者の抱えてる毒みたいな物が見えてしまうかもしれません。
ながつきさん
えー考察を拝見して、その……『こわれた腕環』を思い出しました。
自我の確立といっても、ポニョは父からも逃げていたわけで、宗介は父性というより、普通に異性……ゲド? と。
むしろ普遍的なもので、『こわれた腕環』からの発想ではないと思いますが、そう感じてしまうと今までの経緯があるだけに、何だかやっぱりムカッときます。
半魚人のポニョはたしかに「インスマス顔……」と感じたので、クトゥルー神話を思い浮かべるのは無理ないのかも。
そんな色々があっても、宮崎駿のアニメは、やはり動きや画面の作品として抜群に面白いので、余計に複雑な気分になります。
そもそも好きな絵柄ではなくて、絵柄は別にして宮崎アニメもどうもあわないんですが。
なので、ブツブツ途切れ途切れのながら見で、あーだこーだと言ってはいけないと思いつつ。
幼い子供が主人公であるということ以上に、宗介って、父性の役割を果たしていません?
ポニョが海とグレートマザー(グランマンマーレ)から逃れて陸に上がるのは、そのまま自我の確立で、
その手を引いて、世界のこちら側に導くのは宗介。
再生した新しい世界の担い手が5歳の男女の子供って・・・。なんだかすっきりしません。
それが、環境破壊で滅びるかもしれないこの世界の子供たちへのメッセージなのかもしれないけど。
ちゃんと見ていないくせにまだ思うことはあるのだけど、すでに書きすぎですね。すいません。
ともかく、なるほどいろいろ物議をかもしだすアニメだわと、とても納得しました。
わかりやすいところで正論ツッコミできるのがリサさんなのかなと思います。見当違いだとも思うけど。
あ、どこかで読んだクトゥルー神話(こじつけ)説を思い出して、面白かったです。
単純に見るのではなく深く見れそうだ。