1月17日という日
- カテゴリ:日記
- 2009/01/17 17:19:59
本日は日本で全国的に1月17日である。
ただのそれだけの人がほとんどだと思う。
だが兵庫県に住むワタシにとっては今日だけは普通の気持ちではいられない。
そう14年前の阪神・淡路大震災。
ワタシはあの朝、5時46分の猛烈な揺れに対して直感的に地震だと察してアパートが潰れた時のことを考えて(2階に住んでた)布団の中で身体を丸めたもんだ。
あの時が初めて「死」を覚悟した瞬間やった。
しばらくして揺れは収まり立ってる物が何もなくなった部屋を出て、アパートを見た時よくもまぁ無事だったと思った。
電気とガスと水道と電話はすぐに止まり、情報源は枕元に置いてた携帯ラジオのみ。
聴く所によると阪神高速が倒壊したとか、三宮はビルが倒れて長田は火事だとか。
ワタシの町は亡くなった人は居なかったが、当時で築30年の取り壊し寸前のボロアパート=どくだみ荘(友人が所有してて、潰して公園になるまでの間2年くらいやったらタダで住んでええと言われて住んでた、しかしこのどくだみ荘がまったホントに古くて窓なんてアルミサッシじゃなくて木! 部屋の中に居ても寒い家やった)があの辺りでは一番危なかったと思う。
夜に近所の小学校に避難に行ったが満員でとても入るどころじゃない。情報では近日中に同程度の余震が来ると言われてた。どうせ死ぬなら家で死ぬかと、電気は戻ったので続々と死者が増えていくニュース番組を見ながら余震でゆらゆらと揺れるどくだみ荘で「死」を覚悟しながら呑んだ酒の味はとても苦い物だったと記憶している。
その後、救援物資ってほど大袈裟なもんじゃないが、神戸へ毎日運び込んだが、逆に励まされるように元気に接してくれた神戸の人達には頭が上がらない。いや、そんな単純な言葉では言い表せられん。
今の神戸、特に三宮は観光客には地震の面影はうかがい知ることなどできないでしょう、それはとても良いことだと思う。いちいち感傷に浸ってもらう必要はないのだから。
しかし長田に目を向けるとあそこはもう復興することはないのではないかとさえ思えてくる。
あれからもう14年も経ちました、しかしまだ14年しか経ってません。
何しに行くのか自分でも分からんが、せめて花くらいは捧げて1月17日くらいは神妙にあの頃を想い出したいと思う。
今夜は神戸で呑んでくることを許していただきたい。
当時何やかんやありましてあの災害の起きた場所に行かざるを得ませんでした。
阪神高速が倒れてるのは悪夢でした。
ゴジラVSキングキドラが激突したかと(苦笑)。
お風呂はなかなか入れなかったですけど飲食物に関しては大阪の人達が
運んでくれたので不自由はなかったです。
でも、それはワタシが恵まれてただけ。
ボランティアもどきで被災地に行きましたが結構醜い争奪戦や
警察のあまりの関わらなさぶりに激昂したりもしましたが
述べましたようにワタシは逆に励まされることの方が多かったので
それ以上は何も言えません。
天災は忘れた頃にやってくると言いますが
忘れてしまいがちなあの時の気持ちを今一度呼び起こす一日になればと思います。
もちろん忘れてしまいたいことの方が多いかとは思いますが…。
地震は震度4でも震えが止まりませんでしたので(若い頃)、たくさんの方が被災された大きな地震・・・想像を絶する体験だったことでしょう・・・
私は娘がまだ1歳くらいの頃でしたので、地震に巻き込まれた子供さんのことを考えると自分も眠れずテレビに釘付けだったのを覚えています・・・
当時、自宅が被災し大変な思いをされながら会社に行っていた方が、同じ市内にいて被害のなかった同僚の方から、お風呂に入れないことや着替えを出来ないことで冷たい言葉をかけられ冷たい目で見られて悲しかったとの記事を読んだことがあります。
また、ボランティアの方と被災された方のトラブルや心の葛藤を知って、何か起こったときに復興するまでに起きる人の心の問題や難しさ・・・を、遠くから想像するしかありませんでしたが、とても痛感しました・・・
光と影の部分も忘れず、今後また災害が起きた時、生かされればいいなと思ってます。
もちろん、前向きなパワーも!
これからは、災害どこで起こっても不思議ではありませんので、他人事ではないですね・・・
この14年間復興に尽力された方々にお疲れ様でしたと言いたいです♪
地震? 自信かなぁ、過剰です、わはは。
最近東海地方も怖いけど
ワタシはあくまで訪問者レベルです。
来週どこで呑もうっかなー、うほ。
ごめん、話はおもっいきりかわるけど、2000年の9月(だったよね???汗記憶が飛んでいるので!!)
の東海豪雨の体験者です!!笑
地震も怖いけど、水も怖いよ!!
ちなみに母(東海豪雨体験者)と母の従兄弟(阪神・淡路大震災体験者)の災害被害トークはちと
怖いです!!爆
お家の被害、それはまだまだ大変なことですね。
でもワタシはこう考えてるんです。
神戸の人が見かけ上(中身は知りませんよ)
元気な以上はやはりワタシも元気でいたいと。
じゃなかったら失礼に当たる気がして。
yukkoさんのような人が居れば神戸も、いや日本も大丈夫です。
私も大阪に住んでおりまして、阪神・淡路大震災の思い出を書かせて頂いたのですが、
お友達からこちらのブログの日記をご紹介頂きまして、お邪魔させて頂きました。
私の所も被害を受けてしまいましたし、未だに家屋の被害は直りきっておりません。
毎年復興してくる神戸の町を拝見しながら。。。光と影の部分を感じて素直に喜べない私でした。
あの日の、あの時は何時までも忘れられないですね。。。
でも神戸は元気でしたよ!
忘れちゃいけない日ですよね。
なんか重い雰囲気やったから。
めっちゃありがたいよ!
関東ねぇ、今や南海大地震じゃないの?
関東も忘れたころに…来ないよ!
安心・安全だーよ。
地震、怖い(´;ω;`)
そろそろ関東にでかいのが…
こないと思いたい。
相も変わらず元気な日月がここに居ます。
ちょっとこの日になるとおセンチになってしまいますが
いつもと変わらぬ酒呑みなワタシです。
ありがたいことですが、やはり皆様から罵詈雑言?
を浴びせていただかないと調子が上がらないようです。
6000人以上が亡くなってしまったように
こんな馬鹿なワタシですけどたまには考える時間が居るようです。
日が変わってしまいましたが、ありがたいお言葉に返す言葉が見つからずに
ここまでかかってしまいました。
また今日からもおバカなワタシの論調に付き合っていただけると幸いです。
今日からはまたへらへらなスカタンで行きたいと思います。
昨日は、昨日は、ありがとうございました。
もう、今日はちゃうでー。
沢山飲んで来てね。
私も、ちょっと飲もうかな、今日は。
一緒に飲んでる気分でね。
私は愛知県に住んでいた。
下から突き上げるような衝撃を受けて目が覚めた。
テレビをつけ惨劇を目の当たりにした。
当時、家族の一人が伊丹に住んでいて
無事を知らせる電話が入った。
電話なんて全く繋がらなくて
やっと私のところに繋がったと。
その後は、救援物資を送る手伝いくらいしかできなかったけど。。
私の友達も震災時に関西にいて
かなりヒドイ目にもあったらしい。
でも、一番大事なのはお金なんかよりも人の愛だと言っていた。
実際に体験した人の言葉は重みがあった。
ホントにそう思う。
でも、そんな話こそ
私のような 無知なモノには リアルに伝わる。
体験した人にしか わからない事が きっと ある。
でも、理解したい気持ちは みんな持ってるはず。
… そして、 けっして ヒトゴトではない。
今日はお互いに呑もうぜ!
もちろん被災者の方々は、大変な苦労と努力をされたこととおもいます。
朝起きてニュースで見た、あの衝撃を今でも覚えています。
徳島だったので、かなり揺れたようですが、
あいにく爆睡しておりました・・・・。すみません。
神戸でのひと時ごゆっくりお過ごしください。
地震後の映像とかすごい記憶に残ってる。
見てるだけも怖かったです。
いってらっしゃい。
読んでるだけで、みぞおちがギュッ!!ってなるぐらい恐怖を感じました。
気を付けて、行ってきてください。
ラジオから時間とともに深刻になっていく報道に
耳を傾けていたのを覚えています。
自身にとって忘れられない出来事もありました。
ゆっくりといってらっしゃい。
あの日わたしはないも知らずに会社へ行って、会社のテレビを見て
驚いたものです。
大阪での展示会初日で、大阪に入る予定の人たちは入れず、
もちろん展示会も中止。
っていうくらいの思い出しか・・ないけど。
体験してたんだね、日月くんは。
何もなければ今日も呑めていただろう誰かの分まで、呑んできてください。
覚悟した死の恐怖感を量り知ることはできませんので安易なことは言えませんけれど、粛々とお飲みになるお酒に悪いものはないと思います。
本の少しの間だけれど、父の転勤で神戸市民になった事があります。
私自身は大学生だったので長期休みしか滞在出来なかったけど。
家族達は当時の勤務先(生田神社の近く)や学校(長田区)の近所の惨状に驚いていました。
今日もニュースなど報道がありましたね。
14年にもなるのか…。
でもまだ記憶が風化するには早いです。
私は地震の多い地方で生まれ、育った。
家の一部損壊とかはあっても、命の危険を感じたことはなかった。
いろんな体験談を聞いた。
でも、阪神・淡路大震災を実体験した方の思いをはかり知ることは出来ない。
今夜は気のすむまで呑んでもいいと思う。いろいろと心の中にあるのだろうから。