とらんすれーしょん
- カテゴリ:小説/詩
- 2010/01/28 22:43:59
本来歴史的仮名遣いで書かれている近代文学を現代仮名遣いになおすことについて、交流先の方と論争になった。
本当のところ「論争」というより、
「自分は原型を尊重して楽しみたいな~」という相手方に、
「でも現代仮名遣いで流通させないと、元テキストから姿を消しそうなんでそこは我慢するしかないかと(ため息)」
みたいな、読者としてはあまり立ち位置が違わないのに、流通・保存面を考えていたわたしが絡んだという、なんだかなぁ、なやりとりだった。
(先様にあやまります。本当に申しわけありませんでした)
仮名遣いを改めることの是非について意見が分かれている(本当は分かれているのではなく、論点の違いなんだけど、便宜上、まぁ一応)双方が、しかし作者の意図を尊重すること、この筆致を出来うる限り残すことにはこだわっていた。
これ、この国の近代文学でなら、校訂者に誠実さが求められるということだ。
で、考えた。
翻訳なら?
無論誠実さ、双方の言語に対する理解力、文章力が求められる。
つきつめてしまうと翻訳って、可能なんだろうか?
不可能、とは言って欲しくない気持ちが個人的にはある。
子ども時代、小学校時分の読書の大きな部分・自分の根っこに当たる部分が、英国産の児童文学で占められているからだ。
(以下基本的に敬称略。居心地悪いけど)
だから最初に覚えた訳者の名前は、石井桃子や神宮輝夫あたりだった。
これらの人の名がついてる本は内容がしっかりしていて安心印、石井訳はやや古風だが言葉が美しくやさしく豊か、神宮訳はやや翻訳調だが率直で平易でリズミカル、という印象だった。
もうすこし年齢があがってファンタジィ系を読む量が増えると、浅羽莢子の名前を意識した。
児童文学では平易で物語に入り込みやすい読み易さ、原文も凝った文体だというタニス・リーの〈平たい地球〉ではほとんど官能的できらびやかな美文調、詩人で画家であるマーヴィン・ピークの〈ゴーメンガースト〉では視覚的で息苦しささえ感じさせる重厚な文、といった自在さで、凄いとしか言いようがない。
断っておくと、わたしは外国語全般まるで駄目な人間で、小学校の低~中学年くらいに読んだ本の英語の原書を、辞書を頼りににじり読みするので一杯いっぱいだったりする。
なので、翻訳が適切か否かを判断するのは不可能だ。
そんな人間にさえ、訳者によって作品が変わることは理解できる。
単純な理解不足による誤訳、横の物を縦に移すようには行かない・言語による概念のズレから来る部分に採る手法による違い、そして文体、訳者に依るところはあまりに大きい。
交流先の方が読んで印象深かった本として、邦訳は大きくイメージが違ったのでと、訳書があっても原書を挙げておられたこともあった。
翻訳書が作者が意図し作ったままを伝えるかと言えば本当のところノーだろう。
原著に訳者の判断・解釈が加えられ、訳者の文才で構成されたものだと理解はしておいた方がいいんだろうな~、と思うようになった。
その辺覚悟して読むか、でなくば頑張って原書に手を出すしかないんだろうな~
ファンタジィ読みが翻訳について書くなら、話題にするネタがあるんじゃない? と言われそう。
はい、翻訳についての問題を考えて浮かんだのは、やっぱり『指輪物語』だった。
わたしみたいな薄くて英語苦手な人間でさえ、思うところはある。
問題が煩雑だし、批判・論争・署名運動までてんこ盛りの大ネタで、書くのはどうだかな〜とは思うものの、意見がある人がいるなら聞いてみたくもある。
邦訳・映画どちらであるかに関わらず、一言ある方、いらっしゃいます?
うひゃあ。監督であるPJまで話が届いて事実上の解任に至ったというのに……orz
あの後『オペラ座の怪人』や『キングダム・オブヘブン』でもファンが動いたようだったのに。
もともと『指輪物語』自体言語学者が書いた(訳者への翻訳手引きがあるw)普通の訳でも論争になるような作品だけど、完全にそれ以前の問題ですね。
通訳と字幕翻訳は力点が違うだろうに、あの人がハリウッドスターの通訳についてるのをTV等で見るたび、
「時間ないんと違うんかい、忙しいからって言いわけしてたん違うんか!」
不愉快になって画面に突っ込んでしまいます。
誤訳がある以前に、他者が作った作品に、まったく敬意をはらわず対する姿勢が腹立たしいです。
そも、あの人の日本語の能力に疑問があるかもだぜ?(……ほら、やっぱりおかしい)
映画業界の方も、映画版指輪の日本語ホームページで、最初期ガラドリエルを「ゴールデンウッド令嬢」と載っけていたらしい(現物見てません)くらい、自分が扱う物への興味がないようですし。
(普通、ざっとだけでも調べないかなぁ?)
「かいじゅうたちのいるところ」それは安心できそうです。
……と思いつつ、自分の文章見直して、びっくり。
……誤字、修正しました。人のこと言えません。
突っ込みもあったのかな、ごめんなさい、ありがとう。
いまだに指輪で自分が何故あれほどまでに批難されたのか、理解できていないのではないかな。
彼女は、根本的に自分の知識素養が貧困すぎるということも、リテラシーの低さも自覚なく、
あいかわらず「私が分かりやすく訳してあげたのよ」という姿勢を変えていないように感じます。
そうそう、lordとkingは、違いが分からなかったのだと思います。
たぶん、彼女の頭の中ではいっしょ。女王と王妃、殿下と陛下も区別できない方なので。
いつまで「大作は彼女に」が続くんでしょうね。映画の翻訳業界って謎です。
「アバター」は、踏み込んだ深い映画ではないとはいえ、
吹き替えや他の方の字幕だとしても微妙なところは微妙でしょうが・・・。
確証はないんだけど、この字幕ウソやろうと思う部分(重要なシーン含む)や、
セリフがあるのに字幕がない(これも彼女ときどきやるんですよね)部分もありました。
まあ、基本、字幕は参考程度に~。
あ、「かいじゅうたちのいるところ」 神宮輝夫先生字幕監修です♪
いえ、本当にすみませんでした。
わたしも、読者としては、できることなら元の形のまま読む人間ではあるんです。
ただ「一見の客」にも触れやすい形で残しておかないとテキストは(元テキストも)消滅する、と危機感持っているもので。
(だからといってグーグルさんのやろうとしてることはどうよ、と思いますが。バランスが難しいですね)
漱石先生は、英文学を専攻した人ですし「翻訳されてしまう」ことに関しては「嬉しくはないけど避け得ない」と考えるのじゃないかなぁ、と思っています。
決して良いとは思わないけど、どうしようもない部分もあると耐えるしかない、というか……
自分のことだと仕事絡みはすぐにはちょっと思いつきませんけど、被服関係ならアイロンもそうですね。
「これ何です?」「あ、鉄製です」
確かに重いなぁ、とため息つきつつブラウスにアイロンかけてますね、日々。
翻訳するとどうしようもなく取りこぼす部分もあるとは思うんです。
確かに、誠意をもって作品に対し、基本的な部分を消化できていればいいと思うのです(それが難しいのですけれど)。
でも、そんなもんどこ吹く風の人もいるんですよね〜
某字幕翻訳者は、文学と語学の専門家が書いた、人工言語とその背後の歴史(太古なら神話・伝承)が含まれる作品(の三分の一だけ、つまり伏線等もわからない)を監修振り切ってストーリー変えてのけましたし。
単なる邦訳でも意見が分かれているのに、どうしてあんなに自信たっぷりになれるんだろう。
邦訳について意見を異としていた人たちが、字幕に対して一致団結したのがおかしかったです。
コメント拝見してあわてて検索しました。『アバター』字幕、まさかの戸田氏……
業界はいまだにあの人に大きな仕事まかせてとるんかい!
TVで映画好きを自称する人たちが、やたら吹き替えを薦めてた理由がわかりました。
指輪に関してはン十年好きでいた人間たちにとって映画化自体祭りみたいなところもあったので、そこでやらかした映画会社と戸田氏に半端なく怒った人、多かったです。
そこに映画ファンの以前からの恨みつらみが合流して、なんとか改訳を勝ち取れたのだと思います。
一部映画ファンの「よくあること、騒ぐなんて狭量」という反応に、そこまで絶望してるのか、と愕然。
「ストーリー変わっても平気なんかい!?」って疑問もありましたが。
評判を聞いて吹き替えで見たのですが、有志の人がネットにあげたスクリプトと書き取り字幕を読んで、冗談抜きに椅子から転がり落ちました。
児童書にじり読みレベルの人間にさえ、誤訳とわかる字幕って何?
脚本で明確に区別されていたlordとkingの差さえ感じずにまんま両方とも「王」、小さな誤訳が積み重なってボロミアが裏切りを狙って同道した悪漢に成り下がっていたけど、多分そういうストーリーだと思ってたんでしょうね。
万一英文メールがあった場合に即座に英文で返信できない人間なんで、わかりもしない人間が数あわせで名を連ねていると思われちゃいけないので署名は控えたのですが、本気で腹が立っていました。
字幕の改訂がなされなければ海外版のDVDを購入しようと考えて、リージョンフリープレーヤー購入を検討していました。
字幕の出来のひどさも問題ですが、面子のためか提案された監修を拒否し、基礎的な設定さえ理解しないまま仕事に臨むのが信じられません。
なぜ監修が必要な作品なのか知らず、調べず、理解しないまま仕事を受けたのだとしたら、そのアンテナの低さ、意識の低さは想像を絶します。
あの人、ひとつの指輪に意志があるって基本中の基本からわかってないのじゃないかなぁ……
私のは、自分の偏屈な「コダワリ」なので、
むしろなんだか申し訳ないです・・・
ま、その、どう思うんだって、
今度漱石先生に直接聞きましょうよ、ふたりでww
(今度っていつだよ??)
違う国の言葉を「翻訳」するといいますが、ある意味昔の言葉だって「翻訳」ですねぇ。
でもって、同じ時代の同じ言語を使う人同士でも「翻訳」が必要な場合もありますね・・・
え? なんだそれって?
お役所ではお役所用語があり、役所外(へんな言い方だけど)の私にはわからないし。
でもそんな話はどこでもある話で、例えば私は本職で富士通と取引していますが、富士通には「富士通語」がありますww
最近発見しました。
逆に恐らく、弊社の中には弊社語がありますよww
すかさはさんがお勤めの職場にも、御社語が、きっとあるはずですし。
いやホントに、言語体系は同じでも、多少の通訳がないと意図することがわかんなかったりですね、ありますね。
パソコンでは、サーバーOSやSQLの設定など、もはや異国語だし。
被服業界では「ミシン」「チャコペン」などという用語がありますが、ミシンは機械を意味するマシーン(Machine)だし、チャコペンのチャコとはチェック(Check)のことだそうです。
昔々の明治の女工さんが、外国人技術者に聞いた音、をそのまま言葉にしたら、こうなっちゃったのだそうです。
面白いですね。
というわけで、なんだかとりとめがありませんが、
同じ時代に生きる同じ言葉を使う人同士でも、(ある意味での)翻訳が必要なくらいなのですから、
違う国の言葉を翻訳するのは本当に難しいことだと思います。
でも言葉や時代を乗り越えて、人間の思うところは共通するところはきっとあるはずだとも思います。
そういうものがうまく消化できていれば、良いんじゃないかなー、と思います。
翻訳者の感性と翻訳する本の文化圏やジャンルに対する知識の造詣の深さによるところが大きいし、
異なる文化圏の言語なのだから違いがあって当然な上、
直接と間接体験の違いは如何ともし難いですが、
そこにさらに(最近はとくに)出版社側の意向も入ってきているようなのが、
仕方が無いとはいえ、ちょっとオモシロクない感じです~。
映画の字幕は小説の翻訳と事情が異なってくるけど、
「アバター」の字幕は、分かりやすいところに翻訳のびみょうさが出ていました。
爆薬を直訳せずにダイナマイトに代えてしまったのに、エイリアンはそのままカタカナ。
ブルーモンキーもそのままカタカナだったけど、ヒューマノイドは人間もどき、だったかな。
劇中何度も繰り返される重要なセリフ「I see you」
「私はあなたが見える」・・・うーん???という感じです。(批難してるわけじゃないです)
あの「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕誤訳騒動って、指輪の原作ファンだけじゃなくて、
映画ファンの鬱積が一気に流れ出したような現象だったと思います。
私はそれ以前に彼女に対してキレていた(笑)ので、やっぱりやったわねーくらいで、
傍観してしまいましたが、がんばって結果を出した方々には感謝しています♪