平尾の論理4
- カテゴリ:日記
- 2009/01/16 18:55:33
http://www.cramer.co.jp/training/interview_2.html
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より引用
最後の競い合いで勝つためのメンタルタフネスを育てていく
■好きだからこそ高まるモチベーション
自律心に裏付けられた“楽しむ心”を持て
-内から湧き出る強いモチベーションこそ日本人アスリートに最も必要なもの
私はプレーヤー時代からずっと、日本人選手と海外のトッププレーヤーとの差は、メンタル面にあると思っていました。特にゲームに臨むモチベーションのレベルがまったく別次元と感じているのです。
海外のトッププレーヤーは、自分のプレーの最も根源的な部分に、ラグビーを楽しむという感覚を持っています。楽しむという表現をすると、日本ではすぐに面白可笑しく取り組むというイメージを抱かれがちですが、彼等の楽しむ感覚というのは、好きなものを極限までつきつめたい、究めたいという感覚、好きだからこそとことんやりぬきたいという感覚です。皆さんも、何か自分の好きなことに寝食を忘れて没頭するという気持ちは理解できるはずです。彼等のプレーの根源は、そこにあるのです。
一方、日本の選手はどうでしょう。これは多分、ラグビーに限らないのではないかと思いますが、プレーのモチベーションが彼等のように自分の内側にあるのではなく、外側にある場合が多いのです。つまり、先生に叱られるからやる、他人に見られて恥ずかしくないようにやる、あるいは先輩などにあれこれ言われないようにやる、という感覚です。こういうモチベーションはまず、叱る人や、見る人や、あれこれ言う人がいなくなれば、簡単に低下してしまいます。それよりももっと重要なことは、こうした外側からモチベーションを与えられた選手は、苦しい競り合いになった時、絶対に内側から湧き出るモチベーションを持った選手に勝てないということです。
私には、海外のトッププレーヤーは苦しい競り合いになったときに、その競り合いを楽しんでいるかのように見えます。自分自身をどこまで追い込んでいけるのか、自ら賭けを楽しんでいるかのようなのです。しかし日本の選手は自分自身に対するモチベーションが低いですから、極限の競り合いになると諦めが早く、失敗した後の言い訳ばかり上手になります。自分自身に対して律することより、人に説明することにばかりエネルギーを使うのです。
日本ラグビーのレベルアップのためにはさまぎまな課題が考えられますが、私はまずこのモチベーションの持ち方を根本から変えねば、その先のどの部分をいじっても同じではないかと考えています。
-ジャパンに外人が6人入っているのは、和魂洋才ならぬ 洋魂和才を培っていくため
現在、ジャパンには6人の外人選手がいます。ラグビー以外の競技の人にはわかりにくいかもしれませんが、ラグビーの場合、所属する協会の中から選手を選んで代表チームを組むことになっていますから、日本国籍でない選手でも、日本ラグビー協会に所属していれば日本代表に選ばれることがあります。私はしばしば、現在のジャパンのキャプテンであるマコーミック選手に「日本人はメンタルタフネスがない」と言われます。彼は、「日本人は最後の大切なところでミスをする、最後の大切なところでバテてしまう、最後の大切なところで諦める」と手厳しいことを言います。
15人の選手のうち6人も外人がいる日本代表に対して、いろいろと批判を受けることもあります。しかし私は、彼等を目先の勝負に勝つための助っ人という感覚で代表に入れているのではありません。彼等の練習に取り組む姿勢、ゲームに臨む姿勢、内から湧き出るモチベーションの高さに裏付けられたプレーを日本人選手に直接肌で感じてほしいからこそ、そのお手本としてふさわしい選手を選出しているのです。
よく、和魂洋才といいます。海外の優れた技術を進んで取り入れ、それを日本人の気質に合うようにアレンジすることを指した言葉です。しかし私は今、日本のラグビーにはその逆の、洋魂和才のコンセプトが必要だと思っています。
意外に思われるかもしれませんが、外人に比べて日本人の方が、プレーはスキルフルなのです。繊細な技術を駆使させたら日本人はかなりのレベルを発揮できます。日本人に比べれば、外人のスキルは大ざっぱに見えるほどです。しかしゲームで勝つために自分の持ち味を最大に発揮するという部分になると、日本人は圧倒的に劣ってしまいます。その差をつくっているのが、先ほどからいうモチベーションの違いなのです。だから、そういう彼等のメンタルを学んで自分たちの優れたスキルを活かす洋魂和才という視点が大切と考えるわけです。
マジ刺さってます。
ウチに直で言われてるような感覚;